回転寿司が国民食として発展してきた背景には何があるか。さかなプロダクション代表のながさき一生さんは「魚をあまり食べない年齢の子どもにとって、寿司屋の選択肢はどうしても納豆巻きや玉子に固定されがちだが、味の変化が少なければ、子どもはすぐに飽きてしまう。しかし、そこに期間限定の景品や新しいゲーム、コラボ企画が加わると状況は一変する」という――。

※本稿は、ながさき一生『寿司ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

寿司が流れる回転寿司のレーン
写真=iStock.com/Kwangmoozaa
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開発5年、寿司ロボット誕生秘話

回転寿司やスーパーの持ち帰り寿司などでは、「シャリは寿司ロボットが作っている」ということを、すでに多くの方が知っているでしょう。では、この寿司ロボットが、いつ、どのようにして生まれたのかまで知っている人は、どれくらいいるでしょうか。

そもそも寿司ロボットを開発したのは誰なのか。まずは、そこから話を始めましょう。その人物こそ、鈴茂器工株式会社(旧・鈴茂商事株式会社)の創業者、鈴木喜作です。

1961年に設立された同社は、もともとは菓子製造機器のメーカーでした。しかし1970年代、喜作はテレビで目にした「減反政策」のニュースに強い衝撃を受けます。

米飯文化が後回しにされ、コメの消費が落ち込んでいく日本の姿に心を痛め、「自分たちの技術を、コメの消費拡大に役立てられないか」と考えました。そして目をつけたのが、当時まだ高級で、限られた人の食べ物だった寿司の大衆化だったのです。

とはいえ、その道のりは平坦ではありませんでした。1970年代後半から本格的に開発を始め、2年後に完成した試作1号機は、寿司職人たちから「こんなのは寿司じゃない」「団子だ」と、容赦なく切り捨てられてしまいます。

当時の機械が作るシャリは、押し寿司のような食感で、口に入れた瞬間にほどける、あの職人技とはほど遠いものでした。

それでも喜作と技術陣は諦めません。ある職人から「人間の手の弾力を真似てみたらどうだ」という助言を受けたことをきっかけに、改良の方向性が見えてきます。

試行錯誤の末、シャリに触れる金属部分にウレタン系ゴムを貼るという工夫にたどり着き、1981年の夏、ついに寿司ロボットの原型が完成しました。開発に着手してから、実に約5年が経過していました。