前代未聞だった「立皇嗣の礼」

政府は無理やり「立皇嗣の礼」という前代未聞の儀式を作り上げ、「内閣の助言と承認」による“国事行為”としてそれを実施した。これによって、秋篠宮殿下があたかも次代の天皇になられることが確定したかのような印象を国民に与えるのが、政府のもくろみだったのではないかと私は疑っている。なぜそのような印象操作を図ったかといえば、皇位継承問題の解決には避けて通れない「女性天皇」を認めるなど、国民の多くが望む根本的な議論をしばらく封じるためだろう。

しかしこの儀式は、あくまでも秋篠宮殿下が“傍系の皇嗣”という相対的・暫定的なお立場にいらっしゃる既定の事実を、そのまま再確認する意味しか持ち得ない。そもそも明治憲法のもとでも、傍系の皇嗣の場合は皇太子の時に行われる「立太子の礼」のような儀式は“行わない”ことになっていた(美濃部達吉『憲法撮要 改訂第5版』)。

秋篠宮さまの即位辞退は可能

よく知られているように、秋篠宮殿下のご年齢は天皇陛下よりわずか5歳お若いだけ。なので、天皇陛下がご高齢を理由として退位される時点では、秋篠宮殿下もかなりご高齢になっておられる。

だから、それから即位されることは現実的に無理だし、殿下ご自身もご高齢での即位は難しいとのお考えを、すでに漏らしておられる。即位の辞退は制度上、もちろん可能だ(皇室典範第3条、園部逸夫『皇室法概論』)。

その場合、もし今の皇位継承順序にしたがって直ちに悠仁殿下が即位されるならば、生まれてから「天皇」というお立場の方から身近に感化・薫陶を受けた経験がまったくない皇族が、そのまま皇位を継承する結果になる。それで果たして、天皇としての覚悟や皇室の伝統的な精神がつつがなく受け継がれるのか、どうか。

宮号は傍系のしるし

皇位継承順位が同じく第1位でも、次代の天皇として即位されることが確定しているか、そうでないかの違いは、決定的だ。その違いに対応して、皇太子と傍系の皇嗣の間に、敬意の度合いや待遇の軽重にも差が出てくる。

たとえば皇太子なら、お住まいは天皇の「御所ごしょ」に準じて「東宮とうぐう御所」と呼ぶ。外出されることを、天皇の「行幸ぎょうこう」に次ぐ敬意を込めて「行啓ぎょうけい」と表現する。

これに対して傍系の皇嗣の秋篠宮殿下のお住まいは、ほかの皇族方の場合に○○宮邸みやていと呼ぶのと同じく「秋篠宮邸」であり、外出もほかの皇族方と同じ「お成り」。

警衛についても、皇太子なら皇宮警察本部に独立の専用部署が置かれるが、秋篠宮殿下にはそれがない。

何より秋篠宮殿下の場合は、傍系であることを示す「秋篠宮」という宮号を、ご自身の希望によって大切に維持されている。平成から令和への御代替わりの際に、秋篠宮という宮号を廃して内廷に加わる選択肢もあった。だが、それを選ばれなかったという事実がある。

秋篠宮殿下ご本人が、自らの傍系としての位置づけを深く自覚されていることが分かる。