仕事や子育てで「こんなこともできないのか」とついイライラしてしまうときは、どうすればよいのか。社会学者の竹端寛氏は「イライラの背景には『これができて当たり前』という思い込みが存在する。そんなときに思い出してほしい言葉がある」という――。

※本稿は、竹端寛『福祉は誰のため?』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。

居間で母親に叱られる子ども
写真=iStock.com/takasuu
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算数が苦手な娘についカッとなる理由

私は今、小学校2年生の娘の子育ての真っ最中です。

娘が今ぶつかっている課題は、算数の「繰り上がり」「繰り下がり」です。21-9とか、13+8とか、そういう計算が苦手です。たぶんまだ、10の位、というのが頭の中でイメージできていないのです。娘の学校の教科書を親が一緒に読んでみたり、あるいはわかりやすい教え方をしてくれる先生の動画を見たり、色々しながら娘に教えています。

でも、教えていると、親の私はしばしばカッとしてしまいます。

「これくらいのことが、なぜわからないの⁉」と。

これは絶対言ってはならない禁句です。それはなぜか? 私は50年近く生きてきて、繰り上がりや繰り下がりの計算を何万回何10万回としていて、もう身に染みついてしまっています。一方、この数式に初めて出会った娘にとっては、全く未知な世界。親は反復練習をし続けていて「当たり前」になっていても、彼女にとっては「さっぱりわからない世界」なんですよね。

私は以前、『家族は他人、じゃあどうする?』(現代書館)というエッセイを書きましたが、まさにこのタイトルそのものなのです。娘は年齢も経験も考え方も違う他人なのだから、親の私と同一化してはならない。そう書いてみたら、実に当たり前です。でも、いざ娘を目の前にして、集中できずに「わからへん!」と叫んだり、適当な答えを言ったりしている彼女の姿をみると、むかっときてしまう私がいます。

合気道の「できなさ」からわかること

なにをどのように「わかる」「できる」かは、人によって千差万別です。私自身は、合気道を始めて10数年経ち、一応有段者です。でも、子育てでブランクがあり、最近、思想家の内田樹先生が主催されている凱風館がいふうかんに入門してお稽古しはじめたのですが、技を忘れていたり、あるいは以前学んだ道場と違うやり方だったりすることもあって、稽古中に頭が真っ白になることもしばしばです。

そんな折、技を適当に誤魔化してやってしまうことだって、あります。力みがひどく、力ずくで技をかけようとして、諸先輩方から「タケバタさん、力入りすぎ!」と注意をされることが度々あります。

つまり、私にとっての合気道の稽古の「できなさ」「わからなさ」「混乱ぶり」は、娘にとっての繰り上がり、繰り下がりの計算と同じなのです。これも、書いてみれば本当に自明なことなのです。でも、やっぱり、娘にしかってしまう自分がいます。それは一体なぜなのでしょうか?