大宮には忘れられない記憶がある。
大宮の社長就任が発表された直後に、新潟県に住むある老夫婦から1枚のハガキをもらった。年金生活者だというその夫婦は、こう書き綴っていた。
「わずかな蓄えしかないが、海外旅行をしたいという夢がある。海外旅行の夢が叶ったら、国産初のジェット機である『MRJ』に乗りたい。だから、期待を込めて三菱重工の株を1000株買った」
大宮はこのハガキを今も大事に手帳に入れている。老夫婦の夢とは、三菱重工の事業が、日本のために役立ち、日本の土台を支えることである。大宮は、ここに三菱重工に付託された役割が、はっきりと明示されていると考える。「単に利益を追うのみにあらず、されど我は成長する」。大宮の改革の本質を表すものだ。
隗より始めよ。「大宮改革」は細かい部分にも表れる。大宮は社長に就任してから、自分が乗る社用車を、“黒塗り”の高級車から、ワンボックス型の三菱「デリカ」に替えさせた。車内の椅子の一部を取り払い、執務ができるようにデスクを設え、三菱重工が扱う700の製品パンフレットを持ち込んだ。相手に自社の製品に興味を持ってもらうために、大宮みずから「パンフレット」を手渡して説明する。ゴルフのコンペでは、飛行機の形をした「ボールの位置に置くボールマーカー」をさりげなく渡す。話に困ったときのために、大宮は戦闘機を操縦している写真を手帳に忍ばせている。「飛行機が嫌いな男性はいないから」というが、これも大宮の重要な営業ツールだ。
日本の企業集団の中でも、極めて固い結束を誇るといわれる三菱グループの集まりは「金曜会」と呼ばれている。日本財界の“奥の院”のような霧に包まれたミステリアスな会合といわれてきた会だ。この懇親会だが、年に1回だけは、東京・新橋の料亭「新喜楽」で開かれている。
駐車場が存在しないこの料亭の前に車を停められる会社は三菱の“御三家”と称される三菱重工、三菱東京UFJ銀行、三菱商事のトップのクルマのみである。
「新喜楽」前にデンと横付けされたデリカは、大宮という新しい社長像である。
大宮社長の5年間を注ぎ込んだ“改革”は、どのようなものだったのか。