“相模原時間”は、大企業病の表れ

三菱重工業
代表取締役副社長執行役員 
前川篤

前川篤汎用機・特車事業本部長兼相模原製作所所長(肩書は当時・現副社長)は回想する。

「青天の霹靂だった。大宮社長から直々に言い渡されたにもかかわらず、頭の中が真っ白になって、何を言われているのかわからなかった」

前川は、大阪大学で機械工学を専攻し、ガスタービン技術者を志して三菱重工に入社した。前川が配属された原動機事業本部の“聖地”高砂製作所(兵庫県高砂市)は、今や、三菱重工における利益の「約8割」を生み出す超優良製作所だ。前川は、ガスタービンの研究開発に明け暮れ、高砂製作所所長まで登りつめた。

大宮から、「見てやってくれよ」と言われて、前川が担当することとなった神奈川県の相模原市にある汎用機・特車事業本部(以下、相模原)。ターボチャージャー、エンジン、フォークリフトなどを統括する事業本部だが、前川にとって全く畑違いだった。相模原は、09年に232億円、翌10年には166億円の巨額な赤字を垂れ流していた。前川が長らく身を置いた“超優等生”事業本部とは真逆の“劣等生”事業本部といえる。

前川はこれまでガスタービンの分野で、GE、シーメンスという“世界2強のエクセレントカンパニー”と戦い続けてきた。「食うか食われるか」の過酷な世界にいた前川にとって相模原のスピードは、高砂と比べると10分の1の速さだった。相模原にしか通用しない独自の“相模原時間”は、現状に安住する大企業病の表れである、と前川は感じ取っていた。

さらに“相模原文化”も存在した。相模原の食堂では、紙の食券にミシン目が入っていて、その一部を切り取りサラダなどの副食を選ぶ形だった。食券1枚だと定食、半分だとうどん。切り取った食券の一部をザルに入れて、食堂で働く女性が整理する……。これが、前川の鶴の一声で、食券の購入法が、ICカードを導入して精算する仕組みに変わった。

「貴重な習慣を打破して悪かったかな」

こう笑いながら当時を振り返る前川だが、この食券の存在こそが、「相模原における停滞の象徴」だった。