前川は、相模原のトップに就任してから「復興11(RE-BIRTH11)作戦」と題した相模原再生計画を作成している。

相模原製作所内の「ターボチャージャー」自動化ライン。

計画書の中で、相模原の社員にとって最も刺激的だったのは、前川が訴えた「事業所の風土改革」だった。前川はこの計画の中で、はっきりと「相模原は、重篤な大企業病に陥っている」と指摘している。幹部OBから「言いすぎではないか」という指摘もあったが、怯まなかった。前川は、社員に対して、なぜ相模原が大企業病なのかを説いてまわった。

1つ目が、「利益へのこだわりのなさが危機感のなさにつながっていること」。2つ目は、「客の要求に応える製品開発ではなく自己満足の製品開発に陥っていて、客とのコミュニケーションが不足していること」。3つ目は前川が“相模原時間”と名づけたように「開発だけでなく、手続き1つにしても時間がかかりすぎてスピード感がないこと」だった。

例えば相模原が生産する自動車向けの「ターボチャージャー」。16年には年間1000万台、世界シェア1位、シェア30%を目指すターボチャージャーは、今や相模原製作所の稼ぎ頭に成長した。自動車エンジンのダウンサイズ化の流れをうまく捉えたことも功を奏し、世界の自動車メーカーから受注が殺到している。

世界の自動車会社が注目する「ターボチャージャー」の部品。

しかしながら、前川が来た頃には、目を疑うような光景が広がっていた。相模原には、自動車メーカー各社が製造する車種、ターボチャージャーの種類が書かれている「マトリックス状の一覧表」が存在していた。この上に記された赤い印の部分のみが、相模原で提供できる商品であり、“赤い印”以外から注文が来ても、営業部門は「できません」の一点張りで注文を断っていたのである。

前川は、三菱重工の研究所、開発部門と連携を取らせて、赤い部分以外に該当するターボチャージャーも開発させた。その結果、赤い印以外の部分から注文が来ても受けることが可能となり、「受注から必ず2週間以内に製品を届ける」体制に変えさせた。

これは画期的な変化だった。高砂製作所のガスタービン開発の最前線で、日々顧客と向かい合い、日夜製品の性能向上に取り組んできた前川としては、「できません」は、ありえなかった。前川の改革は、“大宮の思い”を体現している。