赤字200億円以上を垂れ流していた相模原製作所に、大宮英明社長(取材時は社長、現会長)は、全く“畑違い”の人物を“送り込んで”黒字化させた。「三菱は国家なのだから、危ないわけはない」この意識を、大宮はどのように変えさせることができたのか。
「三菱は国家なり」
「説明するのは今日が初めてなんだよ。本邦初公開」
三菱重工業の大宮英明社長(現会長)は、2008年4月に社長に就任して以降、白さを増した髪の毛をかき分けながら、社長執務室に続く応接室に入ってきた。
大宮の手には「三菱重工の新たな挑戦」の冊子が握られていた。「三菱重工業株式会社社長大宮英明」とタイトルの下に書かれた日付は、2月26日。インタビューが行われた当日である。全69ページの冊子は、社長就任時から実行してきた“大宮改革”の集大成である。
この取材から1カ月前、三菱重工を担当する記者を招いての懇談会が、東京丸の内の三菱クラブで開かれた。飾らない口調の大宮が、挨拶に立ち、自ら取り組んできた改革に触れて、こう語った。
「7つの事業本部を4つのドメインに集約したり、SBU(戦略的事業ユニット)も導入し、やっと少しは普通の会社に近づけたかなと思っています」
大宮の淡々とした語り口のためか、目立った反応はなかった。だが、この“普通の会社”という言葉に、大宮改革の本質がある。大宮が作成した冊子の中に、興味深い表が掲載されている。
1つは「当社の問題点」と書かれたグラフで、1976年から10年までの売り上げと営業利益率が示されているが、ほぼ35年“停滞”したままである。
もう1つの表は「フォーチュン・グローバル500」から引用されたものだ。65年には、日立、東芝とともに40番台の順位だった。しかしながら、80年代半ばを境に、三菱重工だけが、大きく順位を下げて、一時は、300番近くまで落ち込んでいる。それは操舵に異常をきたして、漂流する“巨艦”のようだ。