今から約150年前、明治日本は西洋諸国に肩を並べんと、熱い思いをもってそれぞれの任務に励んだ。ある者は産業を興し、ある者は石炭を掘り――。農業国だった日本が押しも押されもせぬ大国へと飛躍する。その原動力が世界に認められた。

急速な産業化を成し遂げた日本の底力とは

「明治日本の産業革命遺産」に世界から注目が集まっている。産業革命遺産は、日本の重工業の歩みをたどるもので、幕末に薩摩、長州、佐賀藩などが手がけた反射炉や造船所跡、ドック跡から、明治時代後期の官営八幡製鉄所や三池炭鉱、三菱長崎造船所など、8エリアの23件からなる。長崎造船所の大型クレーンなど今でも稼働中の施設や、「軍艦島」として有名な端島炭坑が含まれる。

造船、製鉄・製鋼、石炭の3つの産業を柱に、西洋から学んだ技術を日本の伝統文化と融合させて、試行錯誤の末に急速な産業化を成し遂げた日本の底力とはどんなものだったのだろうか。

日本は海洋国家である。幕末日本の夢であった近代化。その道は蒸気に集約される。海に面した島国が、海防と洋式艦の製造を夢見て近代化をスタートし、港湾や灯台の整備が行われた。

交通面でも陸運より海運が先行して発達した。鉱工業とその運搬や通商のための海運業が発展し、船の燃料としての石炭の需要が増えた。1880年代、石炭輸送のために積出港や線路が建設される。

陸においても蒸気により地方と東京の距離は近づき、地方においても農業社会から工業社会へ変わった。幕末からの50年、近代化は夢の蒸気船、造船と海、炭鉱と鉄道をとおして初期の目的を達成したのだ。