間もなく100周年を迎える日本の中心駅が5年がかりの改装を終え、大正時代のエレガントな姿を取り戻した。駅舎内のホテルも営業規模を広げて再オープン。建物が記憶する「歴史と物語」を、ほんの少しのぞいてみよう。
昭和15年に見上げた赤煉瓦
クラシックな東京駅丸の内駅舎が帰ってきた。といっても、あの見慣れた姿とはいくらか様子が変わっている。
赤煉瓦の外装が美しい丸の内駅舎は、長らく「仮の姿」であった。太平洋戦争末期の空襲により3階の大部分が焼け落ちたため、やむなく2階(一部3階)建てに改築され、ドーム型の屋根は八角形の切り妻屋根に架け替えられていたのである。
JR東日本はこのほど、それを大正3(1914)年の創建当時の姿に復原した。ビザンチン風の南北のドーム屋根が美しい、堂々たる建築物だ。
「僕がはじめて東京駅を使ったのは生後間もなくの昭和15(40)年秋でした。母に連れられて、東京の荻窪から広島県の父の実家へ向かうため、下関行きの寝台急行に乗りました。マロネ29形という形式です。途中、朝の姫路駅で温めた牛乳を買って飲ませてもらったときいています。鉄道ファンとして、寝台列車の発着を見るために東京駅へ出入りするようになるのは昭和30(55)年からですが、そのころはもう駅舎のドーム屋根はなくなっていましたね」『東京駅歴史探見』(JTB、共著)などの著作を持つ、鉄道史研究家の三宅俊彦氏が感慨深げにこう話す。
復原工事には2007年の着工から5年を要した。その間、もっとも大きな影響を受けたのが、工事期間中全館を休業せざるをえなかった東京ステーションホテルである。
丸の内駅舎は国指定の重要文化財である。その中で営業してきた東京ステーションホテルは、丸の内という場所柄もあり、都内屈指の名門ホテルであったことは間違いない。しかし、とくに戦後になると、帝国ホテルなどの大規模ホテルとはまともに対抗できない、少々影の薄い存在になっていた。
その中でも、このホテルが独特の品格を保ってきた理由のひとつは、特有の立地にひきつけられた作家たちが好んで宿泊したり、作品の舞台に使ったりしたことだろう。