松下村塾▼日本をリードする人材教育の場

大英帝国はじめ欧米列強が圧倒的な強さを誇るなか、小さな島国・日本が18世紀半ばから19世紀はじめにかけて急速な近代化に成功します。アジア各国に開国を求める欧米列強の強圧的な外交に対し、国の独立を守るために必要なものとして、幕末の日本は「工業力」を掲げたのです。それは松下村塾の最も重要なテーマでもありました。吉田松陰の死後まもなく5人の若者が国禁を犯してイギリスへと渡ります。松陰の教え子の多くが明治維新の中核を担い、日本の近代化を進めていったのです。(萩市長 野村興兒)

 

産業遺産は、現在の社会発展の礎を築いた、先人たちの努力・偉業を示すものとして高い歴史的意義を持つ。国内各地に点在する対象物は、その夫々が日本の産業国家として発展を遂げた一連の道程を証言する遺産群であり、歴史・文化的価値を証明するとともに、科学技術立国・日本の原点に立ち戻る契機となるものである。産官学の連携は、幕末・明治期の近代化において多大なる貢献を果たした。現代においても、グローバルな環境における強い日本経済、次なるイノベーションへの活力を生むものと信じている。(産業遺産国民会議会長三菱商事会長 小島順彦)

 

西欧諸国以外では初めて、植民地にならずして日本は産業革命の波を自ら取り込んで近代国家に変貌を遂げた。産業国家建設による国の発展を願った討幕の志士たちの熱い思いが原動力となり、伝統的な匠の技とあいまって試行錯誤を繰り返し、今日の世界に冠たるものづくり立国の屋台骨を作ったのである。この産業遺産群は、長年の鎖国から国を開き、植民地になる危機に直面して、世界にも類を見ない劇的な産業化によって、国を守った明治の人々の決死の覚悟そのものと言える。この国の歴史をもう一度振り返り、その足跡を証言する歴史的な産業遺産群を共に保存・継承していきたい。(内閣総理大臣 安倍晋三)
※写真=時事通信フォト

 
(加藤康子=監修 野崎稚恵=人物インタビュー 的野弘路=撮影 大牟田市、萩市=写真提供 PIXTA=写真)
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