副題に「会津人柴五郎の遺書」とある。のちに陸軍大将にまで累進した柴五郎が最晩年に書き残した少年時代の思い出である。
彼の少年時代とはすなわち幕末、会津戦争とその戦後処置の時代であり、会津人の彼にとっては辛酸の歴史であった。官軍が会津藩に下した処置は大変むごい。
ただ、明治の陸軍には、いったん「朝敵」とされた会津人を受け入れる懐の深さと、精神性があったのも事実である。このような明治陸軍は、日露戦争においても敵将から「世界まれにみる軍隊」として賞楊され、俘虜の扱いも丁重を極めた。昭和の陸軍はこの精神的土壌の継承に失敗し、そして戦に惨敗した。何故か?
精神的荒廃が言われて久しい現代日本を生きる我々にとって、柴の残した遺書の持つ意味は重い。