重要な指標は「時間当たりの報酬水準」
仮に従業員の時給が高くなれば、労働力の過度な利用は人件費コストの上昇につながるため、経営者はこれを節約しようと考える。
このように経営者が利潤最大化の意思決定にあたって考慮するのは、従業員の年収水準というよりも、単位労働当たりのコストである時給水準である。
これは労働者も同様だ。労働者にとって時給水準の変動は余暇と労働の相対価格を変化させることで、その人の労働供給量の決定にも影響を及ぼす。経済主体の意思決定を記述するうえで重要な指標は、あくまで時間当たりの報酬水準なのである。
近年、賃金統計の母集団を構成する労働者の属性は大きく変わってきている。平均労働時間が急速に減少するなか、年収や月収水準の平均値を追うのみでは経済の実態は掴めない。
このため、本書で賃金について言及する際には、基本的には時給水準を指すことにまず留意をしておきたい。実際に、FRB(連邦準備制度理事会)の政策決定に大きな影響を及ぼし、世界のマーケット関係者に最も注目されている統計である米国雇用統計は、平均時給を賃金指標のヘッドラインとして用いている。
日本人の賃金は上がった? 下がった?
日本で賃金に関する代表的な統計として用いられるのは、厚生労働省「毎月勤労統計調査」である。同統計調査は、毎月多数の同一事業所の賃金の状況を調査しており、賃金の動向を時系列で分析する際には最も信頼できる統計である。
しかし、同調査がヘッドラインとして公表している現金給与総額はあくまで月給である。人々の働き方が急速に変化しているなかで、各種メディアで報道される現金給与総額だけを見ていると日本人の賃金の趨勢を見誤ってしまうということをまず最初に指摘しておきたい。
現実の経済主体の行動を規定するのは時給水準であり、さらに言えば特に重要なのは実質値である。実質的な時給水準が高まるなか、自身が必要な時間数を働きながら豊かな生活を送ることができるようになって初めて、日本人の生活水準は向上したといえる。
それでは、肝心の時給水準は近年どのように推移しているのであろうか。
図表2では、厚生労働省「毎月勤労統計調査」、総務省「消費者物価指数」から労働者の時給水準と年収水準を実質化したものを掲載している。
なお、実質化にあたっては、物価指数に何を採用するかがその形状を大きく左右するが、ここはわかりやすさのため消費者物価指数を用いている。