高齢者を敬えば周囲もラクになる

自分のことはいいとしても、周囲に迷惑をかけることが心配だという人もいるでしょう。アルツハイマー型認知症にも様々な症状の現れ方があって、暴力的になる人もいれば、ニコニコ笑って幸せそうに過ごす人もいます。夜間せん妄や窃盗癖といった、いわゆる周辺症状が出ると、周囲に迷惑をかけることになるかもしれません。こればかりは周囲の理解と協力が必要になります。

認知症患者が攻撃的になってしまうのは、周囲が認知症患者を大切にしないからだという話があります。1975年に行われた研究によると、沖縄県の佐敷村(今の南城市)では、65歳以上の高齢者の4%が認知症で、そのうちせん妄などの困った周辺症状を示す人はゼロでした。ところが、同じ頃に東京都で行われた調査では、同じく65歳以上の高齢者の4%が認知症でしたが、そのうち約2割の人に周辺症状がみられたのです。このような違いが生まれた一因として、当時の沖縄には高齢者を敬う習慣が残っていたからだと言われています。

脳は均一にボケていくわけではありません。中でも、感情やストレス反応を司る扁桃体へんとうたいの機能は衰えにくいという特徴があります。つまり、認知症になっても、自分が好意を持たれているか、邪魔者だと思われているかはわかるのです。邪魔者扱いしてくる相手に対しては、気に入らないから困らせてやろうと暴れる人もいます。暴れたり徘徊したりしては困るからといって拘束すると、人としての尊厳を傷つけられ、もっと暴れます。だから、高齢者に対しては、認知症のあるなしにかかわらずなるべく敬意を持って接したほうが、結果的に周囲も楽に付き合えるのです。

とはいえ、ここ10年くらいで急増している高齢人口を手厚くケアするために、応急処置的にどんどん施設を増やす必要はありません。人口のボリュームゾーンである団塊の世代が、これから長生きできたとしてもせいぜい20年。裏を返せば、あと20年もすれば私をはじめとする厄介な老人はみんな死んで、新しい社会になります。世代が替われば、老後問題も今とは違うあり方になるでしょう。

嫌いな人たちと付き合う時間はない

そもそも、介護施設に入れられたところで、楽しいことはないのです。至れり尽くせりで周囲に世話してもらうと、体も頭も鈍る一方ですから考えものです。本当に介護が必要になる手前までは、這ってでも自分の家に住むのがいいと私は思います。今はスマホ一台、電話一本あれば、食料でもなんでも生活に必要なものが届く時代ですから。

ただ、高齢者は住む家を確保するのが難しいという問題もあります。特に独り身の高齢者の場合、賃貸物件を新しく借りるのも難しい。若いうち、特に30代や40代なら老後のお金や住居についてある程度考えておくと役に立つでしょう。逆に、それ以上の年齢になってからあれこれと悩んでもムダです。置かれた状況に応じて、何とかするしかありません。

社会的に非婚化が進んでいますし、結婚していたとしても、伴侶に先立たれ子どももいなければ、いつかは独り身になります。一人暮らし世帯は増えていくばかりです。老後問題とは、老後のおひとりさま問題でもあると言えそうです。

だから年を取っても、友達はいたほうがいい。たくさんはいなくてもいいですから、一緒にいて楽しい人を最低でも一人はつくりましょう。嫌いな人たちとの集まりに顔を出す必要はありません。会社に勤めているうちは我慢して嫌な人と付き合わなければいけないこともありますが、老後は好きな人とだけ過ごせばいいと思います。いつ死ぬかわからないのですから、嫌いな人と付き合っている時間はありません。

気の合うパートナーと余生を過ごす幸せもありますが、独身であれば、気の合う人間と一緒に家をシェアして、疑似家族のように生活するのもいいでしょう。お金の節約にもなりますし、誰かの具合が悪くなっても、お互いに面倒を見合うことができます。

人類はもともと、狩猟採集を行っていた時代から、バンドと呼ばれる50人から100人ぐらいの単位の社会集団をつくって暮らしていました。人間の源流には集団生活があり、誰かとコミュニケーションしないと楽しくないというのは、種に備わった一つの本能のようなものです。1年間誰にも会わずに平気という人はほとんどいません。一人が寂しいと思うのは、人として当たり前のことです。