夫婦の“覚悟”が固まった瞬間
看取りには、必ず後悔がつきまといます。終活に取り組んで、お互いがどんな最期を望んでいるのかを知り、いくら準備をしたとしても、それは変わらないはずです。私は夫婦で終活ができて、本当によかったと感じています。その一方で、後悔もあります。中尾が逝って2カ月が経ちましたが、私のなかには割り切れない複雑な思いが残っているのです。
私たち夫婦が終活をはじめるきっかけは2006年9月のことでした。家族3人が次々と倒れたのです。
まず私が筋肉に命令が伝わらずに末梢神経が痺れて動かしにくくなるフィッシャー症候群で動けなくなり、病院に運び込まれました。2カ月後、私の回復を待つようにして、同居していた母がかねてから患っていたガンで亡くなり、翌年中尾が意識を失ってICUで急性肺炎の治療を受けました。
その頃なのかもしれません。私たち夫婦の覚悟が固まったのは――。
私たち夫婦には子どもはいません。親戚や妹たちに迷惑をかけられない。いつか夫婦2人で、さらに中尾は私よりも一回り以上年上ですから最後には私ひとりで、なんとかしなければならないのだ、と。
中尾も同じ気持ちだったのでしょう。とはいえ、夫婦で「終活しよう」と改めて相談したわけではありません。
私たち夫婦は、毎晩2時間くらい晩酌しながらお話をしていました。いろいろな話をするなかで、どちらともなく、そろそろ片付けはじめようという話題になりました。そうして、遺書を書き、お墓を建てたのです。
次に2人の持ち物を書き出していきました。不動産、日用品、中尾の絵が数十点、それにたくさんのネジネジ……。若い頃は一生懸命に働いて、あれも欲しい、これも欲しい、とたくさんの物を買いました。でも、年齢を重ねて、持ち物を整理してみると「こんなにあってどうするの?」と感じるほど執着がなくなってしまうのです。
不動産をはじめ、食器などの日用品、本や写真などを整理していくうち、知り合いに「それって終活ですね」と言われて「そうか、これが終活なのか」と逆に気づかされたのです。