1985年8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行き日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落、乗員・乗客524人中520人が亡くなる大惨事が起きた。あれから39年がたち、新たな証言も出てきている。元産経新聞論説委員の木村良一さんの新著『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』(徳間書店)より、墜落直前の機内の様子についてお届けする――。

「ドーン」という異常音

「ドーン」という異常音がして機体に衝撃が加わると、キャビン(客室)で「ウワッ」「キャッ」という悲鳴が上がった。

同時に濃い白い煙のようなものが発生し、乗客の多くは耳が詰まるような違和感を強く感じた。客室の気圧低下を警告する高度警報装置が鳴り出し、天井のプレートが開いて酸素マスクが落ちてきた。

天井のプレートが開いて酸素マスクが落ちてきた
写真=iStock.com/no_limit_pictures
天井のプレートが開いて酸素マスクが落ちてきた(※写真はイメージです)

機体の揺れでいくつものマスクが空中を跳ねた。マスクを引っ張ると、酸素が流れ出す。白い煙のようなものは数秒で消えた。

客室乗務員が「酸素マスクを着けてください」と乗客に求める声がコックピット・ボイス・レコーダー(CVR)に録音されている。乗客が機内を撮影し、後に遺族が公開した写真にも酸素マスクの下りた様子が写っている。

コックピットでは懸命な操縦が続いていた。

乗客は遺書を綴った

乗客たちは急いで酸素マスクを着けたが、機体が大きく左右に揺れるたびに悲鳴を上げた。赤ちゃんの泣き声がする。揺れに気持ち悪くなって嘔吐する人がいる。墜落という恐怖と不安に耐え切れず、泣き出す男性もいる。

客室乗務員が「大丈夫です。大丈夫ですよ」と励ます。乗客同士でも励まし合ったり、助け合ったりしてみんなでがんばる。

そんな状況下、乗客たちは手帳やノート、封筒、手元にあった紙に妻や子供たち家族に向けた言葉を綴った。

死を覚悟した遺書である。

事故後、墜落現場からそれらの遺書が見つかると、遺族のもとに届けられ、新聞やテレビで報じられた。

この後に遺書をいくつか列挙するが、読みやすくするために分かりにくいところは多少整えてある。名前や年齢は伏せた。