シミュレーションでは羽田空港の近くまで戻ることができた

ところで、墜落事故翌年(1986年)の3月、運輸省航空事故調査委員会は全日空に頼んで、日航123便と同じように4基のエンジン以外操作できなくなる状態を全日空のフライト・シミュレーター(模擬飛行装置)に入力し、エンジンのパワーだけでどこまで機体をコントロールできるかを検証している。全日空と運輸省航空局のベテランのパイロットたちがシミュレーターを操縦した。

シミュレーターはパイロットの訓練に使う高度な機材で、実機と同じコックピット機能を装備し、コンピューターに飛行条件を入力することで実機のように動き、様々な飛行状態を再現できる。

検証の結果、着陸自体は不可能だったが、エンジンをふかしたり、絞ったりしながら羽田空港の近くまでは戻ることができた。ふかせば、機首は上を向き、反対に絞れば機首は下がる。

右翼と左翼のエンジンの出力を互い違いに変えることで方向転換もできた。

日航123便の機長も墜落直前に「パワー」という言葉を何度も繰り返している。エンジン出力の調整で機体を操縦できることが次第に分かってきたのだ。

このことにもう少し早い段階で気付いていたら「着陸は無理でも、羽田空港近くの浅瀬になんとか着水できたかもしれない。そうすれば520人も犠牲にならずに済んだ可能性もある」と指摘する声もある。

「山の陰から白煙と閃光が上がった」

しかし、シミュレーターと違い、日航123便の機長や副操縦士、航空機関士ら乗員は、垂直尾翼が吹き飛ばされると同時に4系統すべての油圧システムが破壊された結果、過酷な状況に追い込まれていった。

この操縦不能の原因を少しでも知ることができたら、多少は落ち着くこともでき、緊急事態からの脱出方法をなんとか見つけ出すことができたかもしれないが、現実は操縦不能の原因を知るすべなどほとんどなかった。

木村良一『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』(徳間書店)
木村良一『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』(徳間書店)

墜落してもケガ1つ負わないシミュレーターの操作と死と隣り合わせの事故機の操縦とは大きく違うのである。

事故調の事故調査報告書(本文83〜86ページ)もこの点について「今回の事故においては、事故機のクルーは減圧とそれに伴う酸素不足、予想もしなかった異常事態下の心理的圧迫というような厳しい状況のもとで飛行したとみられるが、このような状況は飛行シミュレーションでは模擬できない」と書いている。

墜落直前の様子を墜落した御巣鷹の尾根から南南西に3〜4キロのところで、偶然4人が目撃していた。

「奥多摩の方からかなり低い高度と速度で機首をやや上げ、爆音を立てながら飛んで来て頭上を通過した」
「扇平山の付近で急に右に針路を変え、三国山の方向に飛行した」
「三国山を越えたと思われるときに突然、左に傾いて急降下して山の陰で見えなくなった」
「その後、山の陰から白煙と閃光が上がった」

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