幸せな最期を迎えるにはどうすればいいか。医師の和田秀樹さんは「父の肺気腫が悪化して入院して、ある日『呼吸状態がひどいので、気管内挿管をしてもいいか。そうしないと今晩中に亡くなるかもしれない』という病院からの電話があり、『お願いします』とうっかり言ってしまった。父は生きられるだけ生きたことに満足しているかもしれない。国に医療費を使わせてしまったけれど、それ以上の税金も払っていたし、そんなに悪い最期ではなかったのかもしれない。延命治療をどうするかは難しい問題だ。延命措置を望むのかどうかを判断力のあるうちに決めて、家族の間でも意思を共有しておくといい」という――。
※本稿は、和田秀樹『どうせ死ぬんだから』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
大事なのは「長生き」ではなく、「長生きして何がしたいか?」
世の中には、医者の言うことを素直に聞いて、血圧を下げ、血糖値を下げ、食べたいものを我慢し、酒もタバコもやめている人たちがたくさんいます。
高齢になってからも、我慢しながら医者にすすめられる生活を続けている人が圧倒的に多いわけですが、やはり長生きが目標になってしまっているという印象がぬぐえません。
長生きすることよりも、長生きすることで何をしたいのか、ということのほうが大事じゃないですか。
解剖学者の養老孟司先生は、もう60年以上の愛煙家でいらっしゃる。けれども、医者でありながら「体に悪いからタバコをやめよう」とはまったくお考えにならない。
「自他ともにその人らしい生き方があるから」というのが養老先生のお考えです。
昆虫好きなことでも知られる先生ですが、85歳を超えて、なおラオスのジャングルに、毎年のように虫捕りに行かれるそうです。
亜熱帯のラオスの密林なんて、蚊に刺されただけで死ぬような感染症にかかるところ。それでも、感染症が怖いという気持ちはまったくなく、虫捕りしたいという気持ちだけで行動されているようです。
85歳を過ぎてなお虫捕りに熱中される養老先生は、まさに「その人らしい生き方」を体現されているお一人だと思います。