「延命治療をどうするか」には一般論で答えられない

延命治療には1日10〜20万円かかります。だから父が7カ月もの間、呼吸器につながっていたということは、2000万円以上は国の医療費を使っているわけです。申し訳ないことをしたと思っています。

ただ、東京に住んでいる私たち親族は父の死に目に会えましたし、呼吸器につながれたままの父ではあったものの、みんなでお別れをすることはできました。

父はわりと生に執着のあった人でしたから、生きられるだけ生きたことに満足しているかもしれない。国に医療費を使わせてしまったけれど、それ以上の税金も払っていましたし、そんなに悪い最期ではなかったのではないかと思います。

延命治療をどうするかは難しい問題です。これは、個々人の死生観が深く関わってくる問題ですから、一般論では答えられません。

延命措置を望むのか、延命のための気管内挿管や胃ろうなどの処置を望まないのか。その意思を判断力のあるうちに決めて、家族の間でも意思を共有しておくことが必要でしょう。

「枯れて死ぬ」のが人間の自然な死

昔は、終末期を迎えると何も医療を施されず、最期が近づいたら何も口をつけずに衰弱していって、眠るように死んでいったのだと思います。それが、本来の「老衰死」です。

人は死期が近づくと、身体が栄養や水分を必要としなくなり、食欲が衰えていきます。そうして最期を迎えるわけです。

緩和ケアを受けている高齢の男性患者を訪問するホスピス看護師
写真=iStock.com/LPETTET
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しかし、家族はなかなかそれを受け入れることができない。「食べないから元気が出ないのだ」と思い、少しでも食べてほしいと願います。

医者は血液検査をして脱水の傾向が見られたら、点滴で補正します。

ところが、水分が吸収できなくなっている体に過剰に点滴を行うと、水が溜まって足がむくんできたり、肺に水が溜まったりする。肺に水が溜まるという状況は、溺れて死ぬときと同じで、本人からしたら非常に苦しいのです。

一般論から言うと、体内の水分がなくなって枯れるように死ぬのが、人間にとって自然な死です。

脱水や餓死は、ものすごくかわいそうな死に方のように見えますが、だんだんと眠るように死ぬので、本人は楽なわけです。

延命治療で、たとえば呼吸器につないで点滴するときは安定剤とか眠くなる薬も入れていますから、言うほど本人は苦しくない。原則的にトロトロと眠っているような状態だと思います。