義姉明子に関する記述はほとんどないので、色好みであったかどうかは分からない。しかし口さがない女房雀たちが、物語作者の身近な人で、老いて典侍を務める明子をモデルと考えても仕方あるまい。
現代ならば、プライバシー侵害・名誉毀損の訴訟を起こすところだが、彼女はいたたまれなくなって典侍を辞して、宮廷から離れたという。このことが更にモデルであることを裏付ける結果になった。それだから周りの人たちは、モデルにされないように警戒する。
紫式部(『紫式部日記』)
には、紫式部に対する警戒心がほのうかがわれるではないか。この批評は続いて「会ってみると不思議なほどおっとりして」とあるものの、作者の陰湿さを指摘しているように思われるのだが。
紫式部は「時の人」になったけれど…
このように長編小説の作者と喧伝されようと、モデル問題を引き起こそうと、内裏では『源氏物語』の作者として「時の人」であった。
『日本書紀』『史記』などをマスターした女学者であろうと、一という文字さえ書けない振りをし(『紫式部日記』)、人目に立つことを避け続け、猫を被ったように控えめにし、自分には宮仕えは憂き世界と、自虐的に追い詰めていたのである。
そしてそれは、学んできた歴史書に対する批評に昇華された。「歴史などは人間の一面しか書いていない。物語にこそ委曲を尽くした人間の事柄が書かれている」(『源氏物語』第二十五帖「蛍」)という、有名な文学論を生んだのである。