「低俗な読者」だった藤原道長の下品なひとこと
紫式部は返事もせず、「この場には光源氏に似たようなお方はいらっしゃらないのに、まして紫上がいるはずはないわ」と、大文化人の言葉を黙殺した。詩歌管弦に秀でていても物語理解力は不満ということか。
このエピソードから推測すると、それまでは「藤式部」と呼ばれていたのが、物語の流布によりヒロイン「紫上」の名に基づき「紫式部」と呼ばれるようになったのだろう。
藤原道長も読者だ。道長は自ら上等な美しい紙や筆・墨・硯を用意し、女房たちが紙を選び、能筆の人に書写させ、豪華な『源氏物語』の本を作らせている。『源氏物語』を最初に作者の所から持ち出したのも道長であった。
このように讃えるべき面があるが、読者としては低俗だ。このような色好みの物語を描く作者は色好みだと見たのだから。道長は紫式部に言った。
(このような物語を書くので好色者と評判が立っている貴女だから、見かけた男がそのまま口説かずに素通りすることはないでしょう)
殿藤原道長(『紫式部集』・『紫式部日記』)
これに対し紫式部は、
(まだ誰にも靡いたことのない私ですのに、誰がいったい好色者だなどと噂を立てたのでしょうか)
紫式部(『紫式部集』・『紫式部日記』)
と、ピシャッと言い返した。
『尊卑分脈』の彼女の注記に「道長妾」とするのは、このようなエピソードからか。
自分と登場人物を重ねる菅原孝標の娘
道長の流儀でいけば、不倫小説を書く作家は不倫体験者になるし、殺人事件を手掛ける作家は殺人犯になってしまう。小説の主人公イコール作者と見なす、最も低俗な読者だ。
もっとも詠者自身が主人公であることの多い和歌や、作者イコール「私」という日記文学の盛行がもたらした影響もある。近現代の私小説の愛読者もそう読むだろう。
自分とヒーローあるいはヒロインと重ねて読むミーハー的な読者が、『更級日記』の作者菅原孝標の娘だ。『源氏物語』の文章をすらすら諳んじるほど物語に没頭した孝標の娘は、
菅原孝標の娘(『更級日記』)
と、物語中の人物に己を投影させる。
夕顔の君は夕顔というニックネームの如く、はかなく散ったが、その短い期間、光源氏のこの上ない寵愛を受けた。美人薄命を絵に描いたような女であった。はかなげながら可憐で朗らかな性格で、光源氏は彼女にのめりこみ、死後も面影を追う。