30階級の明確な序列があった
男の階級は明確だ。正一位から少初位下まで三十階級に整然と分かれ、律令制度下の官僚はそのどこかに位置付けられる。その下には位を持たないで奉仕する者がいる。衛士や防人なども位を持たない。
三十階級のうち、正一位から従三位までの正・従合わせて六階級が上流貴族、正四位上から従五位下まで、正・従に加えて、上・下に分けられての八階級が中流貴族、正・従六位は法的には貴族ではないが一般には下流貴族、正七位上から下は貴族の名に値しない階級と考えればいい。
ここ迄に登場した人々で、位階または官職の分かる主な人物をこの階級に当てはめてみよう。各人、生前の最高官職である。
男はこの階段を一歩一歩昇る。しかしその努力にも限界があり、家柄が大きく左右することは否定できない。十世紀政界の主要ポストは、藤原北家の関白太政大臣藤原忠平一門で占められていたのだから。
男の生きがいは官位昇進
生きていく上の苦悩は、境遇により様々あり、一概には言えないが、男の悩みは恋と官位昇進にあった。藤原道長は子が出家をすると言い出した時、「どうしてそんなことを思い立ったのか。何か辛いことでもあるのか。私が気に入らないのか。官位が不足なのか。それとも、何とかして手に入れたいと思っている女のことか」と尋ねた。
『宇津保物語』でも、息子が悶死した時、父はもう一人の息子に向かって、「あれはなんでそんなに思い詰めたのだ。官位のことなら限度というものがあるのだが」と言うと、息子は「いやそうではない。男は女のことで思い詰めるものだ」と答えている。
男の生きがいのうち、女のことは章を改めて述べ、この章では官位昇進について話そう。
官位争奪戦が兄弟の争いに発展する
清少納言は『枕草子』で、「位こそなほめでたきものはあれ(位こそ、やはりめでたいものだ)」(『枕草子』「位こそ」段)と書く。女の目から見ても高位高官は、素晴らしいのだ。
上流貴族間においても、高位高官への階段を昇るために、例えば藤原兼通・兼家兄弟の争いがあった。兼家は参議の兄を超えていち早く中納言に昇進していたが、摂政太政大臣藤原伊尹没をきっかけに兄弟の地位は逆転、兄は関白内大臣、弟兼家は相変わらず中納言だ。