そうめんの発祥地が三輪と言われるワケ
そうめんの歴史に関しては諸説あります。その原型は、小麦粉と米粉で作られた索餅といわれています。奈良時代、遣唐使により中国から日本に伝えられた唐菓子です。以後、手延べ麺の製法なども断続的に日本に伝えられました。
8、9世紀ごろ、奈良県の大神神社(奈良県桜井市三輪)で作られたのが手延べそうめんの始まりとも伝えられています。そのことから三輪がそうめん発祥地といわれることも多いです。
そうめんが現在のような形になったのは鎌倉時代とも室町時代ともいわれています。
手延べそうめんないし手延べ製法が全国に広まったのは江戸時代に入ってから。禅僧や北前船がその波及に一役買っていたと考えられているのですが、もうひとつ、お伊勢参り(お蔭参り)が大きく影響しているといわれています。
日本全国から伊勢神宮へと参拝者が来ていたわけですが、参拝者たちはその道中で伊勢、奈良、堺、京都といった大都市の最先端の技術や文化に触れます。そして、これらを自分の村へ持ち帰ろうとしました。そのひとつが手延べそうめんの製法です。
三輪は玉造稲荷神社(大阪市)と伊勢神宮を結ぶ伊勢街道沿いにあります。伊勢神宮への行き・帰りで三輪の手延べそうめんを知った人々が「ウチの村でも農閑期にこの手延べそうめんとやらを作ってみよう」と考え、三輪で手延べそうめんの作り方を学び、自身の村でも手延べそうめんを作り始めたというわけです。
「揖保乃糸=播州素麺」ではない
揖保乃糸は兵庫県で作られていますが、「揖保乃糸は播州素麺」というのは誤りです。
「揖保乃糸」は兵庫県手延素麺協同組合の登録商標。そして手延べそうめんです。
「播州素麺」は機械麺を作るメーカーが所属している兵庫県乾麺協同組合の登録商標です。
「商標? 何を細かいことを」と思われるかもしれません。けど、商標の話は手延べかそうではないかという重要な話にもつながるので、頭の片隅にでも置いておいてもらいたいところです。
播州素麺と謳っている商品は多数あるのですが、おそらくほぼすべてが機械麺です。
つまり、揖保乃糸は播州のそうめんではありますが、播州素麺ではないということです。
では、「播州そうめん」はどうでしょう。播州そうめんは登録商標ではありません。多くのメーカーが播州そうめんという商品を販売しています。そして、おそらくはほとんどが機械麺です。手延べそうめんであれば、機械麺との差別化を図るべく、播州手延べそうめんと謳うことが多いはず。
島原のそうめんにも似たようなことがいえます。
島原素麺、島原手延素麺といった単語は登録商標ではありません。
そして、島原素麺、島原そうめんという商品名であれば、機械麺であることがほとんどです。手延べそうめんであれば、島原手延べそうめん、島原手延素麺といった商品名になっていることが多いです。
なお、三輪素麺、大門素麺は素麺組合もしくは農協による登録商標で、すべて手延べそうめんです。
これまで素麺組合という言葉が頻出しました。これもまたそうめんにおいては重要なキーワードです。