備中の平凡な官人だった若き日の真備が夢占いの女性を訪ねたところ、先客がいた。彼は京都から来た高級官のボンボンで、彼が解釈を依頼した夢はそれはそれは貴い夢に思えた。盗み聞いていた真備は、ボンボンが帰ると、「地元の私にこそサービスすべきだ!」と女性に強引に頼み込み、その夢を買った。

すると彼はその日を境にどんどん知力がえわたり、遣唐使の一員に選ばれ、彼の地で得た識見もあいまって右大臣にまで栄達した、というのです。「夢占い」という職業が存在したこともうかがえ、興味深いですね。

「橘の実」が北条政子にもたらした幸運

政子が買った夢には、橘の実も出てきます。橘というと「左近の桜、右近の橘」ですが、橘の実って何だろう。それで思いだしたことがあります。

大阪を訪れたときに「ときじくのかぐのこのみ」という人気のある洋菓子屋さんを知りました。何だか由緒のありそうな名前だな、と思って調べてみました。すると『古事記』『日本書紀』に記事があったのです。漢字で書くと、「非時香菓」。常世の国になっている黄金色の実で、不老不死の力があるという。

病に倒れた垂仁天皇は田道間守(たじまもり、と読むようです)という人物にこの実を採ってくるように命じました。田道間守は苦難の末に実を持ち帰るのですが、天皇は既に亡くなっていて、大いに悲しんだのです。

『古事記』には「これは今の橘なり」と記していて、「ときじくのかぐのこのみ」=橘であり、更にそれはみかんである、との説もあるようです。確かに「甘いもの」が少なかった昔、みかんは今よりもずっと貴重だったのかもしれません。

政子さん、『古事記』を読んで、田道間守と橘の挿話を知っていたんでしょうか。伊豆は温暖だからみかんもれて、彼女はそれが大好物だったとか……。いやいや、いくら何でも、そこまでいくと、歴史学の範疇はんちゅうを越えた妄想になってしまいますね(苦笑)。

(次回へ続く)

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