大河ドラマに出てくるような「軍師」は本当に存在したのか。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「中国の諸葛孔明のような“純粋な軍師”は日本には存在しなかった。なぜなら武官と文官の違いがほとんどなかったからだ」という――。

※本稿は、本郷和人『「合戦」の日本史 城攻め、奇襲、兵站、陣形のリアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

直江兼続像(新潟県長岡市)
写真=時事通信フォト
直江兼続像(新潟県長岡市)

大河ドラマにも「軍師」を描いたものはしばしばある

合戦における戦術を考える際に、読者の皆さんの多くは、「軍師」のような人間がいて、戦術・戦法を考え、戦場の後方で全軍を指揮して敵を倒すというようなものを思い浮かべるのではないでしょうか。

たとえばNHK大河ドラマでも軍師を描いたものがしばしばあります。『天地人』では、妻夫木聡さんが演じる直江兼続なおえかねつぐが主人公でしたが、兼続は軍師として描かれていました。岡田准一さんが黒田官兵衛くろだかんべえを演じた『軍師官兵衛』では、「軍師」と、タイトルにまで入っています。そのほか、内野聖陽さんが武田家の軍師・山本勘助やまもとかんすけを演じた『風林火山』などもあります(山本勘助自体、本当に存在したのか否か議論があり、その実在は定かではありません)。

実は、この軍師という存在が厄介なのです。つまり、果たして日本に軍師は本当に存在したのか、という問題があるのです。

中国の軍師は武官ではなく文官だった

中国では、『三国志演義』に出てくる諸葛孔明しょかつこうめい(諸葛亮)などが有名な「軍師」として知られています。中国史にはこのほか、『史記』や『封神演義ほうしんえんぎ』に登場する太公望(呂尚)にしろ、漢建国の戦いに登場する張良にしろ、軍師と呼ばれる者が活躍しています。いわば軍師の系譜のようなものが中国の歴史にはあるわけです。

しかし、そもそも諸葛孔明も本当に軍師だったのでしょうか。私たちが諸葛孔明をイメージするとき、その姿は頭に綸巾かんきんをかぶり、手に羽扇を持って、基本的には武具は身につけていません。およそ、戦場で戦う武将には見えません。実際に中国史に詳しい方のなかには、諸葛孔明のような軍師が本当にいたのかどうか疑っている人もいます。

まず、押さえておかなければならないのは、おそらく軍師に相当する人物というのは、実際に戦場で戦う武官とは異なる文官だったということです。文官は戦略や戦術を考え、その指揮に携わったと考えられます。

つまり、諸葛孔明のような軍師は、文官でありながら自ら戦場に出ていき、戦争の指揮をしているような人物だったことになります。本当にそういう軍師が存在していたとしても、それは相当に珍しい存在であり、滅多にいなかったのではないかと思われます。孔明のライバルともいうべき司馬仲達しばちゅうたつも軍師ではありません。彼は政治家であり、同時にすぐれた軍人です。プロの軍師という人は少数だったでしょう。