鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝とは、どんな人物だったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「戦場に出向くことは少なかったが、手紙を使って武将たちを叱咤激励することで、組織を固めていった。NHK大河ドラマで描かれているような頼りない人物ではない」という――。
源頼朝公銅像 源氏山公園 (神奈川県鎌倉市)
写真=時事通信フォト
源頼朝公銅像 源氏山公園(神奈川県鎌倉市)

大河には描かれていない源頼朝の姿

2022年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、鎌倉時代前期の武将・北条義時である。その義時と密接な関係を持ち、大きな影響を与えたのが、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝だ。

ドラマにおいては、頼朝を俳優の大泉洋さんが演じている。どちらかというと威厳がなく、どこか頼りなさ気な頼朝を演じている。だが、鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』や、当時の貴族の日記には全く別の姿が描かれている。

「西国は平家、関東は源氏が治める」

頼朝というと、平清盛との戦い(平治の乱=1159年)に敗れた父・源義朝を思い、平家打倒を常に願い行動してきたと思われている。

その当時の頼朝の思いがうかがえる史料が、平安時代末の貴族・九条兼実の日記『玉葉』だ。この日記の治承六年(一一八一)八月一日の項目に次のようなことが書かれている。

「頼朝は後白河法皇に次のように申し上げてきた。もし、平家を滅亡に追い込んではいけないというであれば、昔のように、源氏と平氏を共に召し仕われてはどうでしょう。関東は源氏に支配させ、西国は平氏に任せる。その上で朝廷が国司を任命する。そうすれば内乱を鎮めることができるでしょう」