カリスマや博愛精神がなくても革新は起こせる
17歳にして世界を変える企業を創始する1年前に、この少年はスウェーデンの親ナチ政党に加わった。後に彼は、この決断を熱烈に拒絶したけれど、ファシズムの恐怖と彼の関係のせいで、ぼくは一時、もっと嫌悪をもよおさない人物を探そうとした。最終的にこの物語を含めることにしたのは、起業家のヒーロー物語の事例としてではなく、恵まれない人々を助けようという動機がないかもしれない人物の手にかかっても、イノベーションスタックが強力な善をもたらせるということを実証するためだった。この物語を含めたのは、起業家のカリスマや博愛精神などのせいにできないような形でイノベーションスタックの威力が見られるからだ。
イケアはマッチ箱の販売から始まった
1943年のある日、17歳のスウェーデン人少年イングヴァル・カンプラードは、エルムタリッドという家族の農場から町まで自転車を漕いでいった。カンプラードは書類を埋めて、十クローナ札といっしょにアグナリッド市議会に送った。こうしてIkéa(イングヴァル・カンプラード、エルムタリッド、アグナリッドの頭文字)が生まれた――後にその綴りはIKEA(イケア)に変わる。
カンプラードはまずマッチ箱を売り出した。おばさんに手伝ってもらって、百個入りの箱を88オーレで買い、そして起業家精神に富むカンプラードは、それを一つ2、3オーレで売るのだ。ティーン時代にイケアを作ってから、カンプラードは同社の初の大型商品、万年筆を売り歩き、列車でスウェーデン南部じゅうの中小商店を巡った。最初の数年で、同社はペン、クリスマスカード、額縁、ストッキング、種子などの小物を販売した1。
その後5年にわたり、カンプラードはほとんどのビジネスパーソンと同じことをした。競合他社を真似たのだ。こうしたコピーの成果は、イケアが通販事業になったということだった。顧客は書類を送り、その製造工場がそれを顧客に配送する。イケアの最大の通販競合グンナル製造社が家具販売を始めたので、イケアもそれを真似た。両社のカタログは実は商品がかなりかぶっていたので、結果は必然的に価格競争となった。