「値段は高いが質の良い商品」が選ばれるように
イケアの最初の家具専門カタログは、顧客にこの古い建物に来て自分の目で見てくれと招いていた。そして、みんな本当にやってきた――千人もの行列が1953年の開店初日にショールームの外に並んだのだった。カンプラードとその少人数の社員は、ビルの床が安手のアイロン台みたいに、客の重みで崩壊するのではと不安になったほどだった。だが床は持ちこたえたし、人々は訪れ続けた。初年度には何万人も、全国からやってきた。ついにアイロン台問題は解決された。カンプラードが後に回想したように、「これでやっと二種類の安いアイロン台を隣同士に並べ、5クローネ高い方の品質の違いを見せることができるようになったのです。そして私たちが望んでいた通りに、人々は賢明にもその値段は高いが質の良いアイロン台を選んでいったのです」3
だがカンプラードの競合は、攻撃をやめなかった。イケアとその所有者が展示会から閉め出されたにとどまらず、スウェーデンの家具販売業者たちはやがて手を組んで、イケアの供給業者ボイコットを開始した。「自由市場経済のスウェーデンで、私たちの安い価格に反発した家具小売業がボイコットを仕掛けてきたため、私たちはやむを得ずポーランドに進出しなければならなくなっていたのです」とカンプラードは回想する4。
出禁とボイコットで新たな世界が開けた
こうした攻撃すべてのおかげで、慎ましいスウェーデン人は世界で最も成功した家具起業家となった。「企業の存在そのものが脅かされていると感じて、涙にくれた夜も幾度となくありました。それはまた、戦い、迂回の道を探す決意を高めてもくれたのです。新しい問題は目がくらむほどのチャンスを作りました。私たちが他の家具店と同じ家具を購入することができなくなった時、自分たちでデザインすることを余儀なくされました。それは新しいイケア独自のスタイルとなり、独自の世界を作り出しました。またお客に商品を確実に提供できるように、商品が品切れしないようにするために必要に迫られたことで、新しいチャンスが生まれ、私たちに新たな世界が開けることになったのです」5
こうして、出禁とボイコットに動かされ、イケアは家具業界を一変させるイノベーションスタックを創り出したのだった。