海外でも巨大地震とデマは切っても切れない関係にある

ではこういったデマは地震国日本に特有のものか。2009年にイタリア中部で起こったラクイラ地震は同地に大きな被害をもたらしたが、それから2年後の2011年には“ローマで最近「(5月)11日に大地震で街が壊滅する」とのデマが広まっていたため、同日は数千人の市民が職場や学校を休んで郊外に避難し、商店の臨時休業も相次ぐ”(2011.5.13、中日新聞)という大規模な騒ぎが発生した。

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海外における巨大地震とデマで有名なものは、1976年の中国・唐山市を壊滅させ24万人の死者を出した「唐山地震」である。この時ネットは全く普及していなかったが、「次なる巨大余震が来る」というデマが被災地を駆け巡った。また2008年の「四川大地震」では、震源地と遠く離れた北京でも地震が起こる、というデマを流したとして中国公安当局はネットにデマを書き込んだ17名を検挙している。

洋の東西を問わず、またインターネット普及の有無にかかわらず、地震とデマは切っても切れない関係にあると言える。

巨大地震という未曽有の災害に対し、人間が普遍的に内在する恐怖心の種が萌芽し、いつの時代でもそこに尾ひれがつて拡散していく――、という流れを観ることができる。

「低リテラシー」の人々はいつの時代も常に存在した

しかし一方で、こう考えることもできる。時代に関わらず、また国家や共同体を問わず、デマを流すもの、それを信じる者という所謂「低リテラシー」の人々は、「常に一定程度存在してきた」と言えるのではないか。

要するに、恐怖心は人類普遍の感情であるが、それに抗しきれず流言飛語を流すもの、便乗する愉快犯、またそれを垂直的に信じてしまうリテラシーのないものは、いつの時代や社会でも常に集団の中で一定は居る、という類推である。

批判的精神を持たず、他者の言説に無批判で、デマの発生源を自ら確認することなく惑わされるという人々が必ず居る。だがそれは逐次否定され、デマは沈静化することから、彼らは常に存在するが社会の中ではマイノリティであり続ける。彼らがもし社会の大勢を占めるならば、デマは訂正されることなく際限なく広がり続け大規模な騒擾が起こるはずだが、その都度公的機関が取り締まりを実行し、メディアが否定することで、時間と共にデマは消えて行くことからも、「低リテラシー」の人々は世論に影響を与えるだけの量的規模を持たない。