「数字はウソをつかない」は本当なのだろうか。元大阪市長・大阪府知事の橋下徹さんは「内閣支持率やGDPといったデータでも、使い方によっては真逆の結論を導くことができる。日本人はデータから導き出した『意見』を『事実』と混同しがちだ」という――。

※本稿は、橋下徹『情報強者のイロハ 差をつける、情報の集め方&使い方』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

ビジネスデータの棒グラフと円グラフ、横たわるペン
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数字は一見中立的でフェアに見える

ファクトフルネスやデータサイエンスをことさら声高に標榜する人の言い分はこうだ。

「人は感情や思い込みによって判断や解釈を間違う。だから感情の混じらない数字やデータをなにより見るべきだ」「数字は人を裏切らない、人を騙さない。だから数字を最重要視すべきだ」

それはほんとうだろうか?

数字はたしかに一見、中立的で無機質でフェアに見える。でも光の当て方や切り取り方を変えれば、まったく違う文脈を帯びてくる。

例えば、内閣の支持率が下降しているとのデータを示す際、グラフの目盛りの間隔を大きくすれば、「急下降」しているように見える。視覚的にそんな演出が可能だ。もちろん逆の効果を狙ったグラフだって、いかようにもつくれてしまう。

数字に隠された恣意性

個人的な体験談になってしまうが、僕が大阪府政に関与している期間のデータについてもそのような作為はたくさんあった。

僕に批判的な立場の人が「橋下府政の経済政策はなんの意味もなかった」と訴え、僕が大阪府知事だった期間の大阪府内総生産をその根拠として引き合いに出す。問題はその数字の切り取り方である。

そこで提示された府内総生産では、大阪は全国47都道府県中、たしかに下位に沈んでいる。その「事実」を指摘して、「だから橋下は無能だ」と断じるわけだ。

僕としては苦笑するしかない。もちろんそう思うのは自由だし、だいいちウソではない。その数字はフェイクではなく、れっきとした事実だ。

でも、その数字には恣意性が隠されている。