フランス王室が男系継承を維持できた最大の理由は、直系子孫にこだわらず、遠縁の男系子孫にも王位継承権を広げたからです。フランス王室も嫡出の男子が途絶えることがあり、その度に代をさかのぼって王家の血を引く遠縁の男系子孫を連れて来て、王位を継がせました。
たとえば、カペー王朝は1328年に直系の男子が途絶えると、2代さかのぼった王の次男(ヴァロワ家)の嫡男をフィリップ6世としました。シャルル8世が1498年、嫡男を残さず逝去すると、やはり、4代さかのぼった王の次男(ヴァロワ・オルレアン家)の嫡孫がルイ12世に。ルイ12世も1515年、嫡男を残さず逝去したため、2代さかのぼった公爵の次男(ヴァロワ・アングレーム家)の嫡孫がフランソワ1世となりました。
1589年、アンリ3世が暗殺され、彼に子がなかったため、ヴァロワ朝は断絶します。この時には約300年さかのぼり、聖王ルイ9世の血統につながるブルボン家のアンリ・ド・ブルボンがアンリ4世となり、ブルボン王朝を開きました。このブルボン王朝から、17世紀に太陽王ルイ14世が出ます。
このように、フランス王室はカペー朝を開いたユーグ・カペーの男系子孫たちが、脈々と王位を継承しました。つまり、本家のカペー王家、分家のヴァロワ家とブルボン家の血筋により、男系継承を維持したのです。この例からも、側室制がない場合、男系継承の維持のためには、世代をさかのぼって分家から男系子孫を継承者に据えるという方式が有効であることがわかります。
「女性天皇」と「女系天皇」の大きな違い
現在日本の皇室をめぐっては、とくに女性の天皇即位を認めるかどうかでさまざまな議論がなされています。その場合、一代限りの「女性天皇」を認めるのか、その女性天皇と民間人の夫の子にも皇位継承権を認める「女系天皇」までを是とするのかでは、皇位継承における意味が全く異なります。「女系天皇」までを是とした場合、ハプスブルグ家の婚姻政策のような、あるいは野心家の民間人男性による、皇統の「乗っ取り」の可能性を開くことにもなりかねません。
日本の歴史にはかつて8人の女性天皇が登場しましたが、これらの女性天皇はすべて、男性天皇の子、あるいは男性天皇の男系の孫・ひ孫などの「男系の女性天皇」でした。「女系天皇」は存在せず、今日に至るまで天皇家は男系を離れたことがありません。
天皇家は民間女性を皇后などに迎えて皇族にすることはあっても、民間男性を皇族にしたことはありません。民間の男性は皇族になれないのです。つまり、男系継承とは女性を排除する制度ではなく、むしろ皇族/王族外の男性を排除し、「王朝の交代」を防ぐ制度なのです。