記憶に苦手意識を持っている人からすると、記憶力に長けている人に対してうらやましく思うと同時に、「記憶力は才能だ」「いまさら努力してもなんともならない」と考えがちです。しかし、記憶とは「技術」であり、それを知っていて使えているかどうかが記憶力を左右しているのだそうです。記憶の技術――その基本とはどのようなものでしょうか。

脳科学と認知心理学から派生して成り立つ記憶術

記憶とは「技術」であるというのが、記憶についてのわたしの基本的な考えです。なかには先天的に記憶力が優れているという人もわずかながら存在しますが、それはあくまでもレアケースです。記憶力が優れている人の多くはそうでない人と違い、記憶の技術を知っていて、そして使っているに過ぎないのです。

では、その記憶の技術とはなにか。それらは、脳科学、その下の階層にある認知心理学というふたつの大きな柱から派生して成り立つものです。脳科学の観点からは、脳の仕組みを利用した記憶術が生まれています。

例えば、「感情を伴わせる」というのもそのひとつ。脳に入ってきた短期記憶を長期記憶として残すかどうかを判断する「海馬」という部分は、喜怒哀楽が生まれる場所である「扁桃体」という部分に密接しています。ですから、なんらかの感情が生まれると扁桃体が活性化し、その刺激が届く海馬も同時に活性化します。そのため、感情を伴った短期記憶に対して、海馬は「重要だ」と判断し、長期記憶として残すのです。

その仕組みを知れば、覚えたい情報に対して意図的に感情を伴わせるという記憶術が成立するという具合です。

一方の認知心理学から成り立つ記憶術は、大きくふたつ存在します。ひとつが「維持リハーサル」というもの。維持リハーサルとは、覚えたいことを何回も書いたり読んだりするなど、短期記憶を繰り返すことで長期記憶化していく記憶術です。

そして、もうひとつが「精緻化」です。この精緻化こそが、記憶の一番のキモになるとわたしは考えています。精緻化とは、簡単にいうと情報の加工処理のこと。それを繰り返すと、「精緻化リハーサル」と呼ばれるようになります。

記憶の一番のキモである「精緻化」とは

では、「情報の加工処理」とはどのようなことでしょうか? 一時的な記憶である短期記憶を強い長期記憶にできるかどうかは、「どれだけ深い思考をしたか」にかかっています。

そして、「深い思考をする」とは、情報のかたちを変えたり自分なりの新しい意味づけをしたりすることであると同時に、その行為こそが「情報の加工処理(=精緻化)」ということになるのです。

精緻化を利用した記憶術のなかで多くの人に馴染み深いものというと、語呂合わせが代表格です。平安京への遷都が行われた794年という年号は、ほとんどの人が「鳴くよウグイス平安京」という語呂合わせで覚えたことでしょう。

「794」という情報はもともとただの数字に過ぎませんが、「鳴くよ」と読むことで情報のかたちを変え、新しい意味づけを得たわけです。そうすることで、ただの数字の羅列と比べて脳にとっては格段に覚えやすくなるのです。

ほかにも、「自分で気がつく」「理解する」ことも精緻化の一例です。難解な文章を読んでいて、「この内容は、すでに自分が知っているあの方法論と似ているぞ!」と気がついたり、「なるほど、そういうことか!」と理解したりする。なんのことだか理解できない文章をそのまま覚えようとすることに比べると、このようなかたちで理解度が高まればはるかに記憶に残りやすくなることは容易に想像できるはずです。

また、「図解」も精緻化のひとつといえます。文章の内容を図解するというのは、情報のかたちを変えているということですし、そもそも深い思考によって文章の内容を理解できていなければ図解できません。

いずれにせよ、ここで例示したように情報のかたちを変えたり自分なりの新しい意味づけをしたりすることが精緻化であり、それが記憶のキモとなるのです。

記憶競技者はどのように記憶しているのか

では、かつてのわたしのように、記憶競技を行う人間はどのような記憶術を使っているのでしょうか。それは、まさに精緻化です。

具体的には、ほとんどすべての競技者は「イメージ化」を使います。先に触れた語呂合わせもイメージ化のひとつといえます。「鳴くよウグイス平安京」は文ですが、これを読めばみなさんも「鳴いているウグイスの姿」をイメージしますよね? こうして、記憶により残りやすくなるのです。

記憶競技には、トランプや数字のランダムな並びを覚えるという種目が多数存在します。それをそのまま覚えるのは、いかに記憶力に秀でた人にとっても難しいことですから、イメージにしてしまうのです。例えば、あるひとつの数字をなんらかのキャラクターといったイメージに変換するといった具合です。

また、競技者は、短時間のうちに多くの情報について順を追って記憶することが求められます。そのために使うのが、「記憶の宮殿」とか「場所法」「ロキ法」「ジャーニー法」などと呼ばれる方法です。呼び方は様々ですが、すべて同じ記憶術を指します。

この方法で使うのが、自分にとって馴染みのある「場所」です。よく使われるのが、自宅から会社までの経路だとか、自宅そのものです。その経路のなかに存在する構造物を、記憶の保管場所にするのです。

例えば、玄関のドアを最初の保管場所にして、玄関マットを2番目、靴箱を3番目の保管場所にする。それらに、精緻化によって変換したイメージを貼りつけます。覚えるべきイメージが、リンゴ、パトカー、ヒマワリだとしたら、玄関のドアにリンゴのイメージ、玄関マットにパトカー、靴箱にヒマワリのイメージを頭のなかで貼りつけるのです。

自分にとって馴染みのある場所ですから、記憶の保管場所を順に追っていく状況も容易に思い浮かべることができます。玄関のドアを開けようとすればリンゴが目に入り、玄関マットを見ればパトカー、靴箱にはヒマワリが貼りつけられているのがわかります。そうして、順を追って情報を思い出せるという仕組みです。

もちろん、この方法は一般の人にとっても有用なものです。なんらかの資格試験のために順を追って情報を覚えたいようなときには、効果を発揮するでしょう。

連想ゲームをすれば、記憶術を身につけやすくなる?

ここまでの解説で、「記憶とは技術」といえることを納得してもらえたでしょうか。ただ、そうはいっても、技術を習得するにもうまい人とそうでない人が存在します。仮に仕事に必要な技術を教わっても、すぐに習得できてしまう人もいればなかなか習得できない人もいます。

そこで、記憶術をなるべくスムーズに習得するコツをお教えしましょう。それは、思考の「抽象化」、あるいは「具体化」を日頃から行うということ。覚えるべきものがパンダやバナナなどの目に見えるものであれば、そのままイメージ化できます。でも、覚えるものが「平和」「経済」「健康」など目に見えないものだったらどうでしょう?

それらをイメージ化するには、なんらかの目に見えるものに変換しなければなりません。わたしの場合であれば、「健康」なら「鉄アレイ」や「縄跳びの縄」にするでしょうか。ここで行ったのは、「健康」という抽象度の高いものを具体化するということです。

一方で、逆のケースもあります。ある程度のボリュームのある文章全体を、ひとつのイメージにして覚えやすくするといったケースです。この場合、文章にある単語それぞれをイメージ化していると収拾がつきません。そこで、文章全体を抽象化してひとつのイメージにしてしまうといった手法が有効になるのです。

ですから、記憶術を習得するためには、日頃から「連想ゲーム」をするのもいいかもしれません。「○○といえば××」と、異なるものをつなげて捉えるときには、抽象化か具体化のどちらかを必ずしているからです。「パトカーといえば自動車」であれば抽象化していますし、「自動車といえばパトカー」なら具体化しています。わたし自身も研究をしたわけではありませんが、「連想ゲームが得意な人は、記憶も得意」といえるように思います。

(構成=岩川悟、清家茂樹 図版作成=木村友彦 撮影=玉井美世子)