仕事をしている人は誰でも、ややこしい案件を抱えてしまうときがあります。脳が疲れている状態で難問にあたっても、いい結果が出るわけがありません。1日24時間の中でも、脳の働きは時間帯によって変わります。仕事の効率を上げるために、時間帯と脳の働きの関係を知っておく必要があるのです。

人間は1日に何回、意思決定をしているか

人間は1日に最大で何回、意思決定をしていると思いますか? 100回。それとも500回。いやいや700回くらいはきっと……。人によって、数字は大きく変わってくるでしょう。

正解は3万5000回です。「1日=24時間✕60分✕60秒=8万6400秒」ですから、「8万6400秒÷3万5000回=2.46秒/回」、つまり「およそ2.5秒に1回」という驚くべき頻度で、意思決定をしていることになります。

実はこの数字、英国ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授が、自らの研究で明らかにしたものです。でも、よくよく考えてみたら、私たちは朝起きたときから、様々な意思決定を行なっています。「いま起きて、ベッドから出る」ということ自体が、意思決定をした結果の行動なのです。そして、パジャマから部屋着に着替えたり、バスルームで顔を洗ったりすることも……。サハキアン教授によると、私たちは言語、食事、交通といった事柄だけでも、1日で平均2万回以上も意思決定をしているそうです。

なぜ、このような話をしたのかというと、ややこしい案件を処理するベストな時間帯を、より有効に活用するために、脳のコンディションもできるだけ整えて備えておくようにしたいからです。そのためには、それ以外の時間帯での意思決定の回数を減らして、脳の中で思考や判断の機能を司っている「前頭葉」、その重要な機能を担う「前頭前野」が疲弊してしまうのを防いでおくことが大切です。では、どうしたらいいのでしょうか。

ザッカーバーグは同じTシャツを20枚持っている

その答えは「余計なことは考えないように、習慣化する」です。フェイスブックの創業者のマーク・ザッカーバーグ氏は、グレーのTシャツに、黒いパーカーがトレードマークになっています。まったく同じTシャツを20枚も持っていたこともあるそうです。そして、その理由について尋ねられると、「くだらないことや、うわついたことに時間を使うと、自分の仕事をしていない気がする。フェイスブックをよくすることに、すべての時間を使いたい」と述べたそうです。

アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏が、いつも黒のタートルネックにブルージーンズ、そしてトレーナーというスタイルだったのも、同じような考えに基づいたものといわれています。

先ほどの起床時の着替えや洗顔も、1つずつ意思決定にカウントしましたが、実際に腕組みしながら「着替えしようかしまいか」「洗顔はいま、それとも朝食を終えてから歯磨きと一緒に?」などと考えている人は、まずいないでしょう。すでに習慣化して、自然と体が動くようになっています。ランチのメニューも、「月曜日はカレー」「火曜日は蕎麦」といったように決めてしまい、それを習慣化していくという方もいます。そうすれば仕事中に「今日のランチは何にしようか」などと、余計なことを考えることがなくなり、脳の負担を減らす効果が期待できるからです。

ところで、人間が起床した後、十分に脳が覚醒して作業を行なえる時間はどの程度でしょうか。南オーストラリア大のドーソンらが発表した論文によると、「12~13時間まで」とのことです。この研究が面白いのは、脳の働きのパフォーマンスを、お酒を呑んだ状態と比較していることです。覚醒時間が15時間を過ぎると、血中アルコール濃度が0.03%で酒気帯び状態と同程度になるそうです。そして24時間を過ぎたら、血中アルコール濃度0.1%で、体重40kgの人が633ml入りの大瓶のビール1本を呑んだときと同じ状態になるといいます。つまり、頑張って仕事をし続けたりすると、脳は勝手に「ちょっと一杯」の状態になってしまうと考えると何だかやるせない気持ちにもなりますね。

ベストな時間帯は起きてから3~4時間後

こうなったら、ややこしい案件の処理どころではなく、仕事そのものが手につかなくなってきてしまいます。当然、人間は起き続けていると疲れてきます。脳も同様に疲れが溜まってくるのです。特に疲れやすいのは、脳の中でワーキングメモリの中核を担い、常に認知負荷にさらされている前頭前野なので、次第に脳の活動が低下して、仕事上で何らかのミスをおかしかねません。時には大きな事故につながりかねない「ヒューマンエラー」の原因になったりもするので、注意が必要です。

このように脳が働き続けると疲れが蓄積してしまうという観点から、ややこしい案件をこなすのにベストな時間帯は、「起床してから3~4時間後」になります。毎朝6時に起床しているのなら9時から10時であり、多くのビジネスパーソンの場合、出社してすぐの時間帯になるのではないでしょうか。

脳の働きにとって、もうひとつ重要な機能は「サーカディアンリズム」です。これは、およそ24時間のリズムを刻む身体の機能で、人間を含めて、多種多様な生物が共通して持っていることが知られています。サーカディアンリズムとは、ラテン語で「約」を意味する「サーカ(circa)」と、「1日」を意味する「ディエス(dies)」に由来する呼び方で、日の出から始まり、日没で太陽が沈んでから再び昇ってくるまでのおおよそ24時間のリズムを遺伝子が刻んでいるものです。そして、脳や身体の活動がサーカディアンリズムの影響により「調律」されていることが様々な研究から分かってきています。

メラトニンは強い光やスマホからのブルーライトなどで分泌が調整されるので、表示した時刻とは相違する場合もあります。

囚人の仮釈放は1日の始まりがいちばん多い

脳の疲れが意志決定を左右することを裏付ける興味深い研究があります。心理学者のシャイ・ダンジガー、ジョナサン・レバブ、リオーラ・アブナイム=ペッソが、囚人の仮釈放の判決結果を調べた研究では、審査委員会が囚人に下した1112件の判決状況が1日の中の時間帯によってどのように推移するかを調べています。その結果、仮釈放を認める割合は1日の始まりで約65%と最も高く、その後は急速に低下していき、昼の食事休憩の頃になるとゼロ近くになりました。

先に触れたように、朝起きてから出社するまで、様々な行動をするたびに意思決定をしています。できるだけ意思決定をしなくても済むように、ルーティンの行動は習慣化し、脳の負担を減らした状態で、出社後のベストな時間帯を迎えることが望まれます。その点において要注意なのが、自宅を出てから出社までの通勤時間帯です。

電車やバスのなかで、スマートフォンの画面を食い入るように見つめている人が大勢います。そこから入ってくる情報量は大量で、見続けていると、前頭前野には重い認知負荷が掛かってきます。ニュースで情報を得たり、メールのチェックをしたりするのは、できるだけ必要な範囲にとどめておき、脳を休めるように心がけることをお勧めします。

(構成=伊藤博之 撮影=柳井一隆 図版作成=大橋昭一)