現役世代も高齢者も健康を維持していくには何に注意したらいいのか。医師の谷本哲也さんは「とりわけ高齢者の盲点となっているのは栄養不良です。栄養状態が悪いと入院リスクが高く、入院期間も長くなり合併症も多く、回復も遅れがち」という――。
シニア夫婦の食卓
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見えない深刻な健康リスク

老いを思い浮かべるとき、多くの人は白髪やしわ、時にはもの忘れを連想するかもしれません。しかし、高齢者の健康を最も脅かすにもかかわらず、写真にも会話にもなかなか登場しない見えないリスクがあります。それは栄養不足です。

栄養不足と聞くと、多くの方は貧困や飢餓、人道危機を思い浮かべるかもしれません。しかし現実には、先進国でも途上国でも、何百万人もの高齢者がいつの間にか栄養不良に陥り、活力や自立を奪われているのです。これは単にちょっと食が細いレベルの話ではありません。体が必要とする栄養と、実際に摂れている栄養との間に、慢性的で気づかれにくいギャップが生まれているのです。

最新の医学研究によれば、栄養状態が悪い高齢者は入院のリスクが高く、入院期間も長くなり合併症も多く、回復も遅れがちになるとわかっています。看護施設や病院など、食事管理がきちんとされている環境でも、実際には30〜50パーセントの高齢患者が何らかの栄養不良だとする報告もあります。自宅で暮らす高齢者でも、3〜13パーセントが栄養不足とされ、低所得地域ではさらに高い割合にのぼります。

栄養不足を引き起こす複雑な要因

年齢を重ねると、自然に食欲が落ちてきます。医学的には「老年期の食欲不振」と呼ばれる現象で、ホルモンバランスの変化や消化機能の低下、運動量の減少などが関係しています。また、味覚や嗅覚も鈍くなり、食事の楽しみが減って、食べる量が少なくなったり、食事を抜いたりすることもあります。こうした変化はある程度は避けられないものですが、病気やストレスと重なることで、慢性的な栄養不足に発展する恐れがあります。

高齢者にとっては、実は食べるという行為自体が大きなハードルです。虫歯や合わない入れ歯もありますし、加齢によって唾液量が減少して咀嚼が難しくなります。誤嚥性肺炎の原因にもなる嚥下障害も、脳卒中や認知症、パーキンソン病などの病気によってよく見られます。また、慢性関節リウマチなどで手先が不自由になると、食器を持ったり食事を準備したりするのが難しくなります。足腰が衰えて買い物や調理が困難になることも、ますます食事が疎かになる要因です。

さらに、うつ病は高齢者に多く、食欲を大きく減退させる主要な原因のひとつです。大切な配偶者や友人を亡くした後、食べること自体への興味を失ってしまう人も少なくありません。孤独、喪失感、生きがいの喪失といった感情が、栄養摂取の機会を奪っていくのです。食事は本来、誰かと共にする社交的な営みです。しかし、配偶者を亡くし、一人暮らしになった高齢者にとっては、食事が孤独で無意味な時間に感じられることもあります。

高齢者は、心不全、糖尿病、慢性閉塞性肺疾患、がんなど、複数の慢性疾患を抱えていることが珍しくありません。これらの病気や、それに伴う炎症、治療の副作用によって、体が必要とするエネルギーは増える一方で、食欲や栄養の吸収は低下してしまいます。また、多くの薬が食欲減退や吐き気、味覚の変化などの副作用を引き起こします。複数の薬を長期間服用している場合、栄養素の吸収を妨げることもあり、薬漬けは栄養不良のリスクを高める重大な要因なのです。

また、先進国においても低所得の高齢者は、新鮮で栄養価の高い食品を手に入れるのが難しく、結果として栄養の偏りが生じやすくなります。高血圧や高コレステロール血症を気にして、塩分や脂肪、特定の食品を極端に避ける方もいます。しかし、専門家の指導なしに行われる自己流の食事制限は、かえって栄養バランスを崩し、深刻な栄養不足を引き起こしかねません。