※本稿は、名越健郎『ゾルゲ事件80年目の真実』(文春新書)の一部を再編集したものです。
周恩来と秘密接触
ゾルゲは上海で、コミンテルンと中国共産党間の連絡役も務めたが、共産党最高幹部の周恩来と会っていたことが、元中国共産党工作員の回想録で分かった。
この本は、二〇〇二年に中国で限定出版された『毛沢東の親族、張文秋回想録』(広東教育出版社)。周恩来は一九三一年九月、部下だった二十代後半の女性、張文秋にコミンテルンの仕事を手伝わせるため、ゾルゲに引き合わせたという。
新中国で長年首相を務めた周恩来はゾルゲより三歳若く、当時三十三歳。共産党政治局常務委員、中央軍事委書記として、党中央が置かれた上海で地下闘争を指揮していた。周は二八年と三〇年に二度、それぞれ五カ月にわたってモスクワを訪れ、二八年にはスターリンと会談した。コミンテルンの中国側窓口役で、「モスクビン」のコードネームで呼ばれた。
二人の接触は、時事通信北京支局が二〇〇八年五月、「ゾルゲと周恩来、上海で秘密接触――元工作員が回想録」として報道した。回想録に書かれた接触のシーンは以下の通りだ。
スーツを着た身だしなみの立派な外国人がいた
一九三一年九月末のある日の午後。周恩来同志は私を伴い、車でフランス租界の高級ホテルに行った。下車すると、若い外国人が私たちを部屋まで案内してくれた。すると、スーツを着た身だしなみの立派な外国人が私たちを迎えてくれた。一目で私は、董秋斯(ロシア文学者)の家で会ったことのある、あの見知らぬ外国人だと分かった。
周恩来同志は「この方がコミンテルンの指導者、ゾルゲ同志。これからは彼の指導のもとで働くように」と私に紹介した。
次いで周恩来はゾルゲに、「あなたの意見を入れて、張文秋同志を連れてきた。彼女にふさわしい仕事を手配するようお願いしたい」と要請した。
ゾルゲは私たちに椅子をすすめながら言った。「ご安心なさい。必ず彼女にふさわしい仕事を手配する。ご協力いただき、本当にありがとう。まことに恐縮だが、もう数人寄越していただきたい」
周恩来同志は「承知した。あなたが指名した人なら、必ずこちらへ寄越すよう取り計らいたい」と答えた。
すると、ゾルゲが口を挟んだ。「いや、私はあなたたち党内のことはよく分からない。誰を指名したらいいのか、あなた方にお任せする」
周恩来は賛成の意思表示をし、笑って応じた。ゾルゲは感謝の言葉を連発し、喜んだ。回想録によれば、周恩来はこの後、日中関係や中国の政治情勢を話し、張を残して立ち去った。ゾルゲは助手の呉照高を呼び出し、張を紹介すると、仕事の話に入り、二人が仮の夫婦を装って家を借り、組織を運営するよう指示したという。