「私は進むべき道を決めた。スパイになろうと」
「高校生の頃、ゾルゲのようなスパイになりたかった」
ロシアのプーチン大統領は二〇二〇年十月七日の六十八歳の誕生日に際し、国営タス通信のインタビューで自らの過去に言及してこう告白した。
理由や背景には触れず、この一言だけだったが、プーチンがゾルゲを敬愛していることを公表したのはこの時が初めてだった。
プーチンは二〇〇〇年に出版されたインタビュー形式の回想録『プーチン、自らを語る』でもこう述べていた。
ドイツ語を学び、KGB(旧ソ連国家保安委員会)のスパイとして旧東独に五年間勤務たプーチンは、没頭した柔道を通じて日本の文化、歴史にも造詣が深い。日本で活動したドイツ人のソ連スパイ、ゾルゲに個人的な思い入れがあったようだ。
ウクライナ侵攻はゾルゲ事件とつながっている?
プーチンは二〇〇〇年に最高指導者に上り詰めると、KGB時代の同僚をクレムリンに招き、最大派閥「シロビキ」を形成した。議会や裁判所、メディア、地方自治体を支配し、大統領の一元支配を確立。エネルギー産業や国策企業を統括し、反体制派を弾圧して異例の長期政権を築いた。
KGBはソ連崩壊時に分割・再編されたが、ロシアの情報活動や能力は拡大しており、フランスの政治学者、エレーヌ・ブランは現代のロシアを「KGB帝国」と呼んだ。
「ウクライナはロシアの一部」とする特異な歴史観を持つプーチンは二二年二月、ウクライナ侵攻に踏み切り、第二次世界大戦後欧州最大の地上戦となった。ウクライナ侵攻は、プーチンが自ら考えて決断し、軍に命じたもので、「プーチンの戦争」といわれる。
プーチンがKGBに入省していなければ、巡り合わせで大統領になることも、ウクライナ侵攻もなかった。「ロシアのウクライナ侵攻は、ゾルゲ事件とつながっていると見ることもできる」(加藤哲郎、「東京新聞」二三年六月三日)。
ゾルゲの存在がプーチンにKGBへの道を歩ませたとすれば、ゾルゲは死後もロシアと世界を揺るがせていることになる。