「魅力的でハンサム、鮮やかな青い眼…」
ゾルゲは初対面のウルズラに情報活動への参加を求め、彼女は快諾した。ウルズラはゾルゲについて、「魅力的でハンサム。面長な顔、巻き毛の髪、顔には深い皺が刻まれ、鮮やかな青い眼、形の良い口をしていた」と書いている。ゾルゲは伝令係として彼女を利用し、フランス租界に家を借りさせ、夫のいない時、エージェントとの会合場所に使った。家は機密文書の保管場所になった。
当初、彼女は妊娠していたが、出産後、ゾルゲは一緒にオートバイに乗らないかと誘った。
「私はオートバイに有頂天になり、もっと速く走るよう叫んだ。リヒャルトは思い切り飛ばした。止まった時、私は生まれ変わった気分になった。(中略)この後、私は困惑を感じなくなり、二人の会話は充実したものになった」(『ソーニャ・レポート』)
マッキンタイアーは「この心浮き立つバイクの遠乗り直後にふたりの関係がプラトニックでなくなったことを暗示しており、おそらく遠乗り当日の午後に、上海市外の農村地帯のどこかで一線を越えたのであろう」と書いている。
「夫がいなければ利用価値はもっと高」い
ウルズラの家では週に一度、ゾルゲと中国人協力者らの会合が行われたが、彼女は同席しなかった。協力者は彼女に中国語を教える名目でやって来たという。
ウルズラの貢献や忠誠心を評価したゾルゲは帰国後の三三年、モスクワの本部に報告書を送り、情報機関に正式採用するよう推薦した。
「ドイツ共産党員で、上海で働く建築家の夫を持つ。上海では、協力者との連絡員として働いてもらった。夫の不在時に面会場所として自宅を提供し、不都合な文書を保管した。信頼でき、真面目な女性だが、経験や政治的視野は特にない。好感の持てる人物だが、夫がいなければ利用価値はもっと高く、さらに進化するだろう。秘書として他の国で利用できるかもしれない」(『あなたのラムゼイ』)
ゾルゲが三二年末に上海を離れると、二度と会うことはなかったが、ゾルゲの後任、カール・リムに呼び出され、「モスクワで訓練課程に参加する気はないか」と誘われた。
反ナチと社会主義への信奉で固まるウルズラは同意し、本部の訓練センターで半年間、無線技術や格闘術、破壊工作、爆発物の使用、外国語と歴史、地理を学び、マルクス・レーニン主義を叩きこまれた。