ソ連軍情報機関で女性初の「大佐」に
研修終了後、夫と事実上別れ、子どもを連れたまま、上司の工作員と偽装結婚し、満州へ潜入。秘密工作に従事した。この工作員と関係ができ、二人目の子供が生まれた。その後、ポーランドやスイスでの活動を経て、英国人で年下の協力者と再び偽装結婚し、英国に渡った。
四二年夏、ウルズラはナチの弾圧を受けて英国に移住したドイツ出身の理論物理学者、クラウス・フックスと接触を開始した。フックスは四一年に始まった米英の原爆研究プロジェクトの中枢にいて、原爆製造の極秘情報をウルズラに流した。
フックスはウルズラの兄と同じドイツ共産党員として面識があったが、ウルズラの巧みな懐柔で打ち解け、進んで情報を提供した。フックスは四三年末に米国に渡り、前年に始まった秘密原爆開発「マンハッタン計画」に参画。ソ連側の担当官は軍情報本部からKGBの前身、GPU(国家政治保安部)に移り、原爆や水爆に関する国家機密がフックスを通じてソ連に筒抜けとなった。
ソ連は四三年から原爆開発を開始。米英での諜報活動が効を奏し、米国から四年遅れて四九年、初の原爆実験に成功した。
「ウルズラがモスクワへ伝えた情報のおかげで、ソ連の科学者たちはやがて独自の核爆弾を製造できるようになった」とマッキンタイアーは指摘する。彼女はソ連軍情報機関で女性として初めて、大佐の称号を得た。ウルズラは「ゾルゲ以上の『マスタースパイ』であった」(加藤哲郎、『ゾルゲ事件』)といえる。
ゾルゲとウルズラの運命的な出会いがなければ…
フックスは戦後、ソ連の暗号を解読する米英共同研究、「ヴェノナ計画」によってスパイと見破られ、四九年、英防諜機関、MI5に逮捕された。自白後、十四年の懲役刑を終えて、東独のドレスデンに移住。ドレスデンの大学で核物理学の教鞭をとった。その際、接近してきた中国の研究者にも核技術を提供したとされる。
フックスは、「私は自分をスパイだと思ったことは一度もなかった。(中略)圧倒的な破壊力を持つ核兵器は、すべての大国が平等に利用できるようにすべき、というのが、私の考えだった」と回想する。(『ソーニャ、ゾルゲが愛した工作員』)
フックスは八八年に死去するが、その頃、KGBドレスデン支部で活動していたのがプーチン中佐だった。
ウルズラも戦後、米英の捜査を逃れて東独に移住した。スパイをやめて童話作家になり、自伝は七七年に書いた。二〇〇〇年七月、九十三歳で死去すると、大統領に就任したばかりのプーチンは、ウルズラを「軍情報機関のすぐれた工作員」と称え、友好勲章を授与する大統領令に署名した。ソ連の原爆開発は、ゾルゲとウルズラの運命的な出会いがなければ、もっと遅れたかもしれなかった。