元ヤクザの牧師がいる。埼玉県川口市で「罪人の友 主イエス・キリスト教会」の牧師を務める進藤龍也さんは、前科7犯、3度の逮捕歴がある。刑務所で服役中にキリスト教に出会い、出所後に牧師となった。なぜ牧師を目指し、どのような活動をしてきたのか。ライターの佐藤隼秀さんが聞いた――。(前編/全2回)

10代でヤクザになり、覚醒剤の虜に

18歳で傷害罪、19歳で債権取立てによる住宅侵入罪、20歳以降は3度の覚醒剤取締法違反――。これらは過去に私が犯してきた罪の一部です。

1970年に西川口で生まれた私は、小学生の頃から、夜遅くまで家に一人でいる家庭で育ちました。父が大酒飲みで放蕩し、母は家計を埋めるように水商売で働いていたため、幼いながらどこか寂しい気持ちを抱えていました。

中学生になると、そんな寂しさを紛らわすよう、境遇が近しい同級生たちと夜遊びを繰り返すようになります。周りの不良の先輩の真似事で、他校の中学に喧嘩を仕掛けたり、雀荘で時間を潰したりと、次第に非行に走っていきます。父はそもそも私のことを相手にせず、母は忙しく私を止める余裕もなかったため、非行には拍車がかかっていきました。

“どん底”の時代について語る進藤牧師
撮影=プレジデントオンライン編集部
“どん底”の時代について語る進藤牧師

そして、高校1年生の時、他校の生徒に暴行を振るったことで、退学を言い渡されます。プー太郎になった後、たまたま地域の草野球を運営するヤクザと知り合います。先輩の不良がヤクザだったこともあり、自然と「組に入らないか」とスカウトされて、そのまま17歳で極道の道に進むのです。

それからは一兵卒として、債権の取り立てに加担したり、他の組と喧嘩したりして、10代のうちから拘留されます。覚醒剤を覚えたのもその頃でした。違法薬物をさばくことで、主なしのぎを得ていた私は、捌き切れなかった分を自分で摂取するようになり、たちまちのめり込んでいくのです。

気づけば私は、堕落まっしぐらの道を進んでいました。覚醒剤の後遺症で身体がだるくなり、倦怠けんたい感を解消するため覚醒剤を求めては、ヤクザ稼業に深入りしていく。こうして悪循環にハマっていきました。