業績を積み重ねても、人気は得られなかった
彼は大阪に個人としての地盤もなく、選挙に強いわけでもなかった。良く言えば、弁護士時代と同様にどんな依頼でも「仕事」と割り切ってこなすことができる極めて優秀な実務家だが、悪く言えば政治家として理想や使命感に突き動かされるタイプではなく無個性だ。
それはリーダーと呼ぶには、致命的な欠点である。一つの事実として大阪市長選で勝利を収めても、今のような人気は無かったことを挙げていいだろう。
就任後、大阪市営地下鉄の民営化という実績を残しても、それは変わらなかった。民営化問題は橋下が大阪市長に就任する以前から懸案の一つで、決着は維新の悲願でもあった。橋下市長時代には自民の反対で、二度にわたって否決されていた。
吉村は自民市議団が突きつけた12の条件をほぼ飲み込む形で、橋下が「敵」と名指しして対立してきた自民を抱きこみ、この問題を決着させた。周囲に相談することなく、公約として掲げた「完全民営化」を諦める代わりに、維新、公明、自民で賛成多数派を形成して、大阪市が全額出資する企業へ地下鉄事業を譲渡する形で、民営化の実を取ったのだ。
この抱きこみには橋下をして、「そんな一手があるなんて……」と驚きの表情を浮かべさせたという策だった。維新の市議団は必死で、この吉村の業績をアピールしたが、メディアも市民も反応は今ひとつで、演説会を開いても、人が集まらないことすらあった。
「熱心な維新支持者」はほとんどいない
吉村について回ったのは、常に相対的な評価だった。「橋下に比べれば、維新にしては……」が一つの指標で、彼自身の絶対的な評価というのはついに下されないままだった。
そうした吉村の存在は、維新という政党の強さと弱さを体現しているようにも見える。維新は絶対的な支持があるのではなく、相対的な評価の中で、有権者に選ばれてきた政党だからだ。
大阪の有権者の政治心理を分析した『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣、2018年)の著者である関西学院大教授・善教将大によれば、維新が大阪で与党になった理由を「ポピュリズム政治の帰結」とみなす主張には、実証的な根拠がほとんどない。橋下がポピュリスト的な手法を使い、それに倣うかのように吉村も同じような方法を使うことはあるが、それだけで支持が得られるならば、都構想は容易に実現できた。
だが、実証的な視点から見れば橋下の支持率は彼がメディアをひんぱんに賑わせたわりには、さほど高くはなかった。端的に言えば、政治家のメディア露出と支持率はまったく連動しない。