“敷かれたレール”を歩んできたリーダー
国民民主や立憲が議席を伸ばした中で、「野党の中で一人負け」(吉村)によって悲願である全国政党への道はさらに遠のきつつあるように見える。
詳しくは後述するが、与党だった大阪府内にあっても何があっても維新を支持したくないという岩盤“不支持層”を“熱烈な支持層”以上に多く抱える維新にあって、一方からみれば喝采を送りたいほど望ましい、もう片方からみれば苦々しい状況が生まれている。
筆者は、2020年から大阪のニュース番組でコメンテーターを務めることになったが、出演を重ねるにつれて「あいつは維新に寄りすぎている。何にもわかっていない」や「あいつは反維新。何にもわかっていない」という意見がそれなりの数寄せられる。
維新はどうにも人々の感情を刺激する存在になっていることを痛感するのだった。
そんな最中にあって共同代表を務める吉村は代表選挙の出馬を決め、結果は12月1日に明らかになるがすでに大本命に位置付けられている。
やはり最大の注目ポイントは吉村が逆風を変えていけるだけのリーダーなのか、という点だ。彼の資質は近年の盤石な選挙戦、大阪での政権運営をベースに語られることが多いが、私にはやや違和感がある。
吉村ほど我を押し出すことなく、ある意味では敷かれたレールを歩んできたリーダー候補も珍しいからだ。
誰も覚えていない「地味な弁護士」
拙著『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』に収録したルポルタージュの取材で吉村の姿を追いかけ、彼を知る人々を訪ね歩いたが印象に残っているのは、派手で華やかな成功譚よりもむしろ不思議なまでの地味さである。
吉村は1975年、大阪府南部に位置する河内長野市のサラリーマン家庭に生まれた。勉強がよくできるタイプだったようで、地域の名門・府立生野高校を卒業した吉村は、九州大学に進学し、23歳で司法試験を突破する。
弁護士時代に当時勤務していた東京の熊谷綜合法律事務所で、消費者金融大手「武富士」の顧問弁護士団に加わり、批判するメディア相手の訴訟まで担当していたことが今でも維新反対派の批判材料になっているのだが、彼の仕事を覚えている人は少ない。私は当時を知る弁護士──武富士と対峙していた弁護士と、武富士側で同じような訴訟を手掛けていた弁護士──を訪ねたが、期待するようなエピソードは出てこなかった。
彼らに共通していたのは私が取材に訪れるまで、吉村が訴訟に関わっていたことなど全く知らなかったこと、そして弁護団の一人にはいたかもしれないが記憶には全く残っていないというものだった。