「アベノミクス」を好感して、円安、株高が進み、「デフレ、円高、株安」の克服への期待が高まっている。雌伏5年、安倍晋三首相は日本を復活させることができるのか。

「日本経済再生に命懸けで取り組む」

秋葉賢也
厚生労働副大臣兼復興副大臣、衆議院議員。第1次安倍改造内閣で総務大臣政務官。

安倍晋三首相が自民党総裁選で復活を遂げたのは2012(平成24)年9月26日だった。翌日、安倍陣営の中核メンバーが集まって、東京・永田町の北京料理店で祝賀会兼慰労会を開いた。

「遅れてやってきた安倍さんは、お礼の言葉の後、『私は一度、死んだ人間。もう失うものは何もない。だから、震災復興と日本経済再生に命懸けで取り組む。本当に怖いものはない』と言った」

安倍の推薦人に名前を連ねた秋葉賢也(現厚生労働・復興副大臣)が振り返る。

「一度、死んだ人間」の再出発は想定を超える好展開となった。総選挙大勝、首相復帰、金融政策での日本銀行制圧、株高と円安の実現、内閣と自民党の支持率アップと、ここまでは上首尾である。

首相補佐官に就任した礒崎陽輔(現参議院議員。総務省出身)が強調する。

礒崎陽輔
内閣総理大臣補佐官(国家安全保障会議及び選挙制度担当)、参議院議員。参議院文教科学委員長などを歴任。

「非常にスピード感がある。必要な会議はバッと起こし、パッと決まる。人事も的確で、各大臣がうまく動いている。霞が関の役人の目の色が変わってきた。自分の主張をしっかり聞いてもらえる政権ができたと認識している。霞が関に任せるという意味ではなく、役人の力を十分に引き出す方向になってきたと思う」

とはいえ、再登場の安倍に懐疑的な国民は多い。安倍自身が「一度、死んだ」と語った5年半前の衝撃的な首相退陣劇の残像が強く焼きついているからだ。

06年9月、安倍は「戦後生まれ初」「戦後最年少」の看板を背に首相となった。高人気を博したが、3~4カ月後に失速が始まった。07年7月の参院選で惨敗を喫する。一度、続投を決めたが、9月12日に突然、辞意を表明した。

07年11月、自民党の松島みどり(現衆議院議員)は安倍のもとに出向いた。

「退院後、自重して出歩かなかった頃です。安倍さんは『あのときは自分は本当に死ぬかと思った』と漏らした。だから、首相を辞めたことは後悔していないという感じで話していた」