安倍には潰瘍性大腸炎という持病がある。総裁選に出馬した12年9月12日の記者会見で「持病は2年前に登場した画期的な新薬で克服できた。いまは心身ともに健康」と強調した。総選挙から8カ月が過ぎた10年4月、「画期的な新薬」と巡り合い、そのあたりから体調に自信が持てるようになったようだ。
健康不安が消え始めた安倍は将来、再び政権をという気持ちを抱くようになった。衛藤が安倍擁立運動の核となる議員集団について述べる。
「保守を支え、国をどうするか、絵を描ける人たちで『真・保守政策研究会』をつくった。最初は中川会長だったが、議席を失った。政権交代で野党になった自民党は、ばらばらになるかもしれないので、中核部隊が必要だった。会長にふさわしいのは安倍さんしかいない。安倍さんは固辞したが、お願いした」
「真・保守政策研究会」は07年12月に結成され、09年10月に中川が急死した後、安倍が会長を引き継いだ。10年2月に名称を「創生『日本』」に改める。党派横断の組織で、85人の国会議員が参加した。幹事長は衛藤である。
もう1人、安倍陣営の西田昌司(現参議院議員)はこんな内幕を明かした。
「柳沢伯夫さん(元厚生労働相)が西部邁さん(評論家)に話をして、『安倍さんをもう一度、首相に』と言って柳沢さんの下で勉強会を始めた。『君も一緒に』と言われて私も参加した。安倍さんはまだ体調がよくなかったけど、1年間、地味な勉強会をやった。いまの安倍内閣の基になり、その空気が醸成されていった」