一方、大阪市長の橋下徹(現日本維新の会共同代表)が率いる大阪維新の会が再起を目指す安倍に関心を示した。最終的に12年10月に東京都知事を辞めた石原慎太郎(現日本維新の会共同代表)と手を結んだが、その前に安倍との連携を模索した。幹事長の松井一郎(現大阪府知事)とともに橋下を支える政調会長の浅田均(現大阪府議会議長)が証言する。
「僕らは12年初めから新たなドリームチームをつくって日本再生に取り組みたいと考え、複数の国会議員に話をした。その1人が安倍さんで、キャプテンに、とずっとお願いした。向こうには、それに乗ろうという考えと自民党内で再チャレンジすべきだという考え方の2派があって、後者が主流になってしまった」
維新の会と安倍の接触はどんな経緯で始まったのか。浅田が続ける。
「12年2月に日本教育再生機構大阪の主催の会で松井幹事長と安倍さんが意気投合したのが最初だった。第1次安倍内閣は『戦後レジームからの脱却』ということで、教育改革や公務員制度改革に取り組んだが、ほとんど実現できずに終わった。大阪維新の会が大阪府と大阪市でそれを実現した点を高く評価してくれた。それが接点だった。橋下市長も安倍さんは連携するパートナーの選択肢の1つという認識を持っていたが、どうしても安倍さんでなければならないという感じはなかった」
(文中敬称略)
(尾崎三朗、熊谷武二=撮影 PANA=写真)