ずれ込んだ放送日の怪
だが、それほどまでの熱意と信念を持った彼らでも、打ち破ることができなかった大きな壁がそこには立ちはだかっていた。そしてそれはNHKの外からの圧力ではない。“内部からの”圧力や障害といった「内なる壁」であったのではないか。上記の①②に沿って、述べてゆく。
まず、①の当初の意図と違う内容になってしまったことについてだが、もちろん、現場の中川氏は初志貫徹で進めていた。しかし、「ジャニー氏とメリー氏の実像」を浮びあがらせるためには当時のことを語れる人物が必要だ。
一番大事な論点は「彼らはどこで間違ったのか」「何が彼らを間違わせてしまったのか」であったにも関わらず、その答えを知っている人物が表に出てくることはなかった。だから、取材が中途半端で終わってしまうという事態に陥ってしまったのだ。
②に関しては、中川氏とのやり取りと番組の進行具合を時系列に追ってみると、おのずからと真実が浮かび上がってくる。
最初のコンタクトである1月の次に連絡があったのは、3月14日だ。それは4日後に放送が予定されている、二本樹顕理氏を取り上げた番組「事件の涙」を知らせる短いメールだった。次の連絡は6月7日である。
企画が始動したことと同時に、通常、取材対象者に伝えられる「番組概要」として「放送日は9月末あたりのNHKスペシャル枠を想定しているということが記されていた。そして、私のインタビューは7月31日にNHK局内の会議室でおこなわれた。
2つの大きなハードル
ここまで中川氏とやり取りをしていて、私は「NHK内部のインタビューがなかなか撮れなくて、困っている」という印象を受けていた。
また、1月に私に会っているということはその段階ですでに企画提案はしていたはずだが、実際にインタビューを撮るまでに半年以上を費やしている。これは旧Jの関連の番組実績がある中川氏であっても、局内で企画を通すのに難航していたことをあらわしている。
そして、当初、9月放送予定だった番組は、実際には10月20日に放送された。この放送日の変更については、『週刊文春』は、NHK関係者の話として「旧Jタレント起用再開」の記者会見を理由として挙げているが、私はそれだけが放送日変更の理由ではないと考えている。では、何だったのか。
それは、以下の2つの大きなハードルがあったからである。
① NHK上層部にインタビューすること
② 旧J(旧ジャニーズ事務所)の幹部にインタビューすること
それら2つは、クリエイターであれば誰しもが狙いたいターゲットだ。ジャニーズ性加害問題に心血を注いできた中川氏にとっても、もちろんそうだっただろう。
だが、それが叶わなかった。それが、番組が前半と後半でちぐはぐな構成になってしまい、インタビューも中途半端になった挙句、放送日を遅らせなければならなくなった原因となったのではないか。