だが、制作者側も負けてはいない。このテロップに「大きな仕掛け」を隠した。あのような中途半端な表記にあえてすることで、制作者は、視聴者が「?」と引っかかって「ちぐはぐ感」や「違和感」を抱き、その先を考えてくれるのではないか、疑問意識を持ってくれるのではないかと「望みを託した」のだと私は分析している。
「モンスター」を野放しにしたマスコミの罪
最後に、これまでの検証を踏まえて「ジャニーズ性加害問題の根源はどこにあるのか」という最大の難題を吟味したい。
私のこれまでの分析が正しければ、今回の番組は、NHK自身がいまだに性加害問題やジャニーズ事務所と密接にかかわってきた過去から目を背けているという事実を露見してしまったものだと言えるだろう。その行為は、過去の間違いを直視せず、総括も不十分なままただ前に進もうとしていると思わざるを得ない。こうした姿勢を是正しない限り、また同じような問題が起こる恐れがある。そう強く提言したい。
問題の根源は元ジャニーズ事務所側だけにあるのではない。ジャニー氏という「モンスター」を創り出し、利用し、ときには利用され、野放しにしたテレビを中心としたメディア側にある。まずは、番組の最初の志であったはずの「彼らはどこで間違ったのか」「何が彼らを間違わせてしまったのか」を明らかにし、「モンスターはなぜ生まれたのか」を解明する必要がある。
そのためには、NHKだけでなく民放においても、当時を見知る者たちの証言が不可欠だ。ジャニー氏やメリー氏を野放ししたという意味においては、当時のメディアの人間は誰しもが「当事者」である。そう認識して、自らの責任と向き合い、勇気を持って声をあげるべきだ。そんな人物が一人二人と出てくれば、あとに続く者も出てくるはずだ。
「第2のジャニー氏」を生み出さないために
そして、それを成し遂げたあとも、次のジャニーズ性加害問題を生み出さないために、たゆまない努力が必要だ。それは簡単ではない。メディアに関わる一人ひとりの「質」を上げなければならないからだ。
メディアは何のためにあるのか。もちろん、エンタメや娯楽のためだということもあるだろう。だが、メディアの本質は「ウォッチドッグ」、いわゆる「監視機能」だ。ジャニー氏のようなモンスターが生まれないか、メディアによって報道によって情報によって傷ついている人がいないか、搾取されている人がないか、そしてそれらの不当行為が隠蔽もしくは見逃されてはいないか、そんな意識を持ちながら、自らが「メディア」という文化を担っているということをメディアに関わる人間一人ひとりが認識することではないか。
私はそう思っているし、願っている。そのために私は「テレビ業界OB」として大学における映像教育をおこない、若手クリエイターの育成という後方支援をしてゆく。そしてさらには、こういった問題をメディアの責任だけにすることなく、私たち大人の一人ひとりが「子どもたちを守る」という意識を持って、常に考えてゆくことが肝要なのだ。