ここで勝負しないと未来はない
転機になったのは、ショッピングセンター(SC)への初出店だ。03年、中川七店は先方の誘いを受けて都内のSCへ店を出した。委託販売の百貨店とは異なり、SCでは建物の一角を借り受け、そこに自前の店を構築する。街に路面店を出すのと同じような仕組みである。当然、それなりの額の初期投資をしなくてはならない。
この店の場合、敷金をのぞいても約1500万円の投資が必要だった。中小企業にとっては軽くない負担である。
「小売りは固定費ばかりかかって儲からんぞ。卸だけならリスクは少ない。やめておけ」
父・巌雄氏はこういって前のめりになる中川氏を諭した。短期的な収支を考えれば、その指摘はもっともだった。
「それはそうです。僕らは小売りの素人ですし、一店舗では手間ばかりかかって儲からないと思います。でも、この先、小売業で勝負していかないと、うちの会社に未来はない。単店収支がどうこうじゃなくて、やらなくちゃいけないんですよ」
中川氏は必死の思いで父を説得し、1500万円超の投資を許してもらった。その後、「06年に10店目を出すまでは手さぐり状態だった」というが、10店舗達成を機に専用システムを導入し収益化を達成した。
なぜ、中川氏はリスクの大きい道を選んだのか。
先述のとおり、中川政七商店の会社ビジョンは「日本の伝統工芸を元気にする!」。そう宣言する背後には、安い輸入ものに押されて、どんどん廃業が進んでいく伝統工芸業者の危機的な状況が貼りついている。
創業300年の同社には、数百軒にのぼる仕入れ先がある。ところが例年、そのうち3~5軒から「廃業のごあいさつ」が届くという。通知もできずに店を閉める人を含めると、業界はかなりのスピードで縮んでいるのだ。「これが20年続けば、うちのものづくりはできなくなる」と中川氏は危機感を口にする。
だから、店舗網を広げて和雑貨事業を伸ばし、08年に社長に就任してからの中川氏は、全国の伝統工芸業者の経営コンサルティング事業に乗り出した。関与先は仕掛かり中を含めて10社。大きくても年商数億円規模の零細企業だ。
「もちろん、報酬は大した額ではありません。大手のコンサル会社なら受けないでしょう。でも、結果的にうちのものづくりを助けてくれるパートナーになってほしいから、みなさんの再生に手を貸しているんです」
関与先は陶磁器、鞄、包丁類、カーペットなどのメーカーだ。
業務や商品政策を見直し、経営が回復したら中川政七商店が品物を仕入れて販売する。ここ数年の同社はそうやって商品の幅を広げてきた。
伝統工芸全体を「元気にする」にはまだ力不足かもしれない。だが、誰かが動かなければ未来はない。13代目は店のため、業界のために走り続ける。
福井県立大学 地域経済研究所所長
中沢孝夫教授のコメント
市場調査に惑わされず、自分たちの売りたいものを売る。これが中川さんの考えだ。
中小の経営者は誰よりも商品に詳しい。だから、自信を持っていいのである。「ブランディング」が有効だというのはその通りだと思う。
本社:奈良県奈良市東九条町1112-1/事業内容:和雑貨および茶道具の製造・販売/代表者:中川 淳社長/年商:27億5000万円(2012年7月期)/従業員:235人