ブランド論の原点「ニューコーク事件」とは
ブランドは、会社と生活者とのあいだのコミュニケーションの媒体である。だが、それが媒体として会社戦略の中核として位置づけられるようになったのは、それほど昔のことではない。ブランドという概念が会社の経営の喫緊の課題とみなされるようになったのは、ニューコーク事件だったと言われている。その事件とは、四半世紀ほど前、アメリカにおいてコカ・コーラ社がそれまでのコークに代わって新しいコークを発売し、それゆえにアメリカの消費者の大きい反発を呼んだという事件である。
その当時、コカ・コーラはペプシに追い上げられていた。そこで、同社は大規模な消費者調査を行い、そこで高い評判をとった新コークを満を持して発売した。だが現実は、同社の目論見とも、また調査結果とも違っていた。消費者は、大規模調査において味では敵わないとされた旧コークに味を戻すことを望んだのだ。そして結局、同社も旧版に戻すことになった。
消費者の抵抗により、コカ・コーラ社の思惑は外れてしまったわけだが、そのことは、「コカ・コーラ」はあまたある単なるソフトドリンクスの一つという存在ではなく、アメリカの消費者にとって人生においてなくてはならない「かけがえのない存在」になっていたことを意味していた。
この事件は、会社の経営者に、「ブランドとは何か」についての厳しい反省を迫るものであった。そもそも、会社のブランドとは、その会社が長年のマーケティングを通じてつくり出す市場における財産である。
その財産は、それをつくるのに長年、投資をした会社の持ち物であって、煮て食おうが焼いて食おうが会社の勝手のはず。ましてや、わざわざ消費者の意向を聞いたうえで、味覚のいっそうの改善を提案しているわけだから、何の問題もないはず。こう考えるのがふつうである。しかし、そうはならなかった。
ブランドは、市場にあるわが社の「財産」。しかし、それは、会社自身の裁量でその内容をどう処分してもよいというわけではない「財産」なのである。
財産として保有する製造技術や開発技術、さらには工場の機械・設備は、会社がどう処分しようと誰からも文句を言われることはないが、ブランドはそうではない。少なくとも、自分のもの(財産)でありながら、関係相手である市場にいる生活者の意向を12分に反映しないといけない財産なのだ。
そこから、導き出されるのは、ブランドとは、単に会社の財産というより、会社と生活者とが互いによりよくなるための媒体という考え方である。その考えは、図式化するとわかりやすい。
図は、以下のことを示している。
第一に、ブランドは、会社と生活者を結びつける交流の拠点となる。その意味するところの第一は、ブランドは、生活者の期待と夢の拠り所になるということである。
生活者は、たとえば、良品計画の無印良品というブランドに対して期待や夢を持つようになる。時には、他のブランド(たとえば、ユニクロや百円ショップ)と比べて足りないところについて、不平や不満を持つこともある。しかし、それも会社にとっては大事なことである。ブランドを持たない会社は、不平や不満さえも言ってはもらえないのだから。不平や不満は次の成長につながるはずのものである。
と同時に、開発者(マーケター)にとってブランドは、次に向けての開発の判断の拠り所にもなる。開発者はまず、「無印良品にふさわしい技術とは何か、製品とは何か」を始終考えることになる。次なる技術や製品は、無印良品というブランドにふさわしいものとなる。それによって自然に、生活者の期待や夢に応えることにもなる。
こうして、ブランドを通じて会社と生活者は結びつく。