古い商家の家並みが残る水郷の町・近江八幡。西暦131年の創建以来、この地で厳かに佇む日牟禮八幡宮に足を運ぶと、一帯の賑わいに圧倒されるはずだ。
決して交通の便がよいとはいえない人口8万人のこの場所に、1日3000~5000人もの客が訪れては、吸い寄せられるように2つの店に入っていく。和菓子の「日牟禮ヴィレッジたねや」と、洋菓子の「クラブハリエ 日牟禮館」。人々に「わざわざあの店であの菓子を買いたい」と思わせる強烈な磁力を放つ2つの店を運営しているのが、たねやグループだ。
和洋菓子を製造小売りする同グループ全体の店舗数は40店、2011年度の売り上げは192億円。売り上げ推移は、絵に描いたような美しい右肩上がりだ。突出した年もなければ、落ち込んだ年もない。一歩一歩、売り上げ増をなしとげてきたたねやの歴史は、革新の歴史でもある。
オリーブオイルを大福にかける
たねやのルーツは、江戸時代に起こした材木商に遡る。その後、穀物や根菜類の種を扱う種屋に転換。明治5(1872)年に和菓子を扱う菓子業として創業した。菓子業に徹してからも、たねやグループは自在にその中身を変えてきた。代表取締役CEOの山本徳次氏は、1966年にたねや3代目に就任すると、看板商品である「栗饅頭」の見直しを図る。
「お砂糖のない時代にできた菓子と、砂糖がふんだんにあって甘いものを避けている時代の菓子とが同じではあかん。少しずつ砂糖を減らし、糖分を下げました。先代からは反対されたが、『この甘さでは毎日食べると嫌になるのでは』という疑問があった。直感に従ったんです」
「甘さ控えめ」が菓子の賞賛の言葉となるのは80年代から。たねやは20年近く前から日本人の舌の変化を読み、伝統の味にメスを入れていたのである。
変化を恐れず、現状を打破する。最中種(皮)と餡を分け、はさんで食べるスタイルを提案する「ふくみ天平」も、こうしたプロセスから生まれた商品だ。
「作りたての最中は美味しいが、お客様はそれを味わえない。だったら食べる前に合わせてもらおうと考えた。でも、別々に食べはるお客様も多くて、『最中が食いたいのにどういうこっちゃ』とずいぶん怒られました」
今では、皮と餡が別々の最中は珍しくないが、それも「ふくみ天平」が取得した実用新案が切れたため。美味しさを追求するパイオニアはその斬新さゆえに、ときには客からもそっぽを向かれるが、徳次CEOは自らの直感を信じて邁進する。この血は、長男の山本昌仁氏と次男の隆夫氏にも受け継がれている。
たねやの現・代表取締役社長である昌仁氏は、スタイリッシュな小瓶に入ったイタリア製のオリーブオイルを大福にかけて食べる「オリーブ大福」の開発者だ。この商品には、客の高齢化が進む和菓子市場に一石を投じたいという狙いもある。
「オリーブオイルをかけるというだけで若い人が面白がって買いにきてくれる。これが和菓子全般に目を向けるきっかけになってほしいですね。若い人にも小豆を食べてもらえるようなことをしないと。今、虎屋さんからお声をかけていただき、2社で何か組もうかという話もしているんですよ」と昌仁社長。かつて百貨店の菓子売り場は和菓子がメーンだったが、今や完全に洋菓子に逆転された。虎屋とたねや。異例の組み合わせは、老舗の危機感の強さの裏返しだ。