学校も職場も背景は同じ

さて、土井さんは、こうしたキャラ操作が浮上する背景には、社会の価値観の多様化があると述べます。特に若者が日々を過ごす学校について次のように述べます。1984年から1987年の臨時教育審議会答申以降に強まった「個性の重視」志向によって、学校は子どもの個性を否定し、受験勉強という「画一的な檻のなか」に囲い込むのではなく、子どもの個性を重視し、「多様性を奨励するようになった」、と(14p)。この後には「知識 ・理解」だけでなく「関心・意欲・態度」を重視しようとする「新しい学力観」(1989年改訂の学習指導要領で採用)、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」(中央教育審議会1996年答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」)を盛り込む「生きる力」などがそれぞれ示され、個性重視志向は1990年代以降の教育指針となっていきます。

土井さんは、こうした学校現場の変容を概観したうえで、「多様な個性のあり方が賞揚される現代では、普遍的で画一的な物差しによってではなく、個々の場面で具体的な承認を周囲から受けることによって、自己の評価が定まることになります」(15p)と述べて、承認獲得の戦略としてキャラ操作の浮上を位置づけます。

一方セルフブランディングが必要とされる背景論はこうでした。大企業神話が崩壊し、終身雇用制度も大きく揺らぐなかで、これまで日本人が安住してきた会社人間という画一的な生き方はもはや成り立たない。だから、自分が受け入れてもらえるマーケットを探し、そこでの承認を自らの糧とし、また今後のビジネスに結びつけていこう、と。

ブランド論は主に成人に向けられたものであり、土井さんの議論は青少年、特に学齢期の子どもたちに向けられたものです。文脈も教育と労働市場というように異なります。しかし、価値観の多様化、それによる承認の自己調達の必要性、承認資源としての他人の重要性、承認促進ツールとしてのメディア(土井さんの場合は主に携帯電話、ブランド論の場合は主にソーシャルメディアですが)というように抽象化して取り出してみると、かなり相似性があると言えないでしょうか。私は双方ともに、現代社会における自己意識の寄る辺なさが象徴された事例ではないかと考えています。

さて、こうした議論を踏まえたうえで、次回はブランド論が求める「つながり」のあり方を考えてみたいと思います。

『できる人は「自己ブランド」を持っている! -自分を売り出す成功法則
 遠山善英/中経出版/2006年

『自己ブランド戦略12の秘密
 キャサリン・カピュタ/センゲージラーニング/2009年

『ソーシャルメディア実践の書 -Facebook・Twitterによるパーソナルブランディング
 大元隆志/リックテレコム/2011年

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