TOPIC-5 ソーシャルメディアという「居場所」

前回(http://president.jp/articles/-/8525)は、セルフブランディング論の「自分」についての見方を、「役割期待」と「キャラ」という観点から考察しました。では「つながり」については、社会学の観点からどう解釈することができるでしょうか。「つながり」という言葉は非常に多義的に用いられるものですが、以下では単純に「他者との関係性のとり方」という意味で用いることとします。

ブランド論では、社会学のある概念がしばしば用いられたうえで、ブランディングの意義が示されています。たとえば以下の通りです。

「社会学には『ウィーク・タイズ』という考え方があります。(中略)ウィーク・タイズの考え方では、自分とは違った環境に身を置いていたり、あるいは異なった情報を持っている人とのゆるやかなつながりが転職を成功させるためには重要、ということになります」(倉下、36-37p)

大元隆志さんの著作でも、この「ウィーク・タイズ(弱い紐帯)」の概念は引用されています(大元、322p)。これは1973年にアメリカの社会学者マーク・S・グラノヴェターが「弱い紐帯の強さ」という論文で示した概念でした(邦訳は、野沢慎司編・監訳『リーディングス ネットワーク論――家族・コミュニティ・社会関係資本』に所収)。

「弱い紐帯」は、「強い紐帯」と対になっている概念です。長く時間をともにし、情緒的に結びつき、互いに親密で、よく助け合うような「強い紐帯」(野沢編、125p)は、結びついていること自体に個々人が充足を感じるような「つながり」です。「つながり」によって充足がもたらされることを、ここでは社会学者ナン・リンにもとづいて「表出的」機能と呼んでおきましょう(『ソーシャル・キャピタル――社会構造と行為の理論』58p)。

しかしグラノヴェターは、このような「強い紐帯」は、表出的機能は果たすことができるものの、今結びついている当の人的ネットワーク以外への結びつきを促進するようなものではない、と述べます。むしろ先の「強い紐帯」とは逆、つまり緩やかにつながっている程度の「弱い紐帯」の方が、他の人的ネットワークへの結びつきを促進するというのです(野沢編、127-135p)。そして、「弱い紐帯」を通じて他のネットワークへの結びつきがあることは、転職活動において有益に働くと主張します。人との結びつきを通じて、何らかの資源(ここでは職業、およびそれに伴う社会的地位や経済的収入)を新たに調達しようとすることを、やはりリンにもとづいて「道具的」機能と呼ぶことにします(リン、59-60p)。

ブランド論の目標の1つは「成功すること」にあります。もう少し言えば、自らのブランドを確立し、アピールし、それによって「つながり」を作るというワンセットの価値観を読者が採用しさえすれば、成功に至ることができるという論法になっています。成功のゴール手前にあるのが他者との「つながり」です。2009年以前のブランド論では主に、セミナーや異業種交流会への参加などを通して、2010年以後ではソーシャルメディアを通して、色々な人と知り合いになることが推奨されています。その意図は、中井隆栄さんが「成功を応援してくれるコネクターと知り合う」(171p)と述べているように、成功に向けて自らを引っ張り上げてもらうことにあります。これはリンの議論からすると「道具的機能」を求めているといえるはずです。

しかし、倉下忠憲さんが以下のようにも述べる通り、ブランド確立がもたらす「つながり」は、必ずしも道具的機能を求めてのものではありません。

「サードウェイ(ソーシャルメディア活用=セルフブランディングによって可能となる、プライベートでも仕事でもなく、その間に位置する生き方:引用者注)がもたらすものは、このウィーク・タイズだけではありません。自分自身が所属する『コミュニティー』を増やすことにもつながります。基本的に、人間というのは社会的な動物です。そのアイデンティティーを支えるのは、『承認』です。そして『承認』を生みだすのが『コミュニティー』の存在です。同じコミュニティーに所属している他の人から認めてもらえることが安心感を生み出すわけです」(38-39p)

「ソーシャルメディアとそこから生まれるサードウェイは、新しい自分の『居場所』――コミュニティーを生みだす可能性を秘めています」(40p)

引用箇所にあるように、自分が安らげる「居場所」を、インターネット上のコミュニティーに求めよう、というのです。つまり、インターネット上でゆるやかに結びつく人々(弱い紐帯)から、結びついていること自体に充足を感じるような「つながり」(強い紐帯の特徴である表出的機能)を得ようというわけです。たとえば、自らを「いいね!」と言ってもらうこと、言ってくれる回数をもって自己承認とするということです。